『ふくしまに生きるふくしまを守る』
警察官と家族の手記
福島県警察本部/監修 福島県警察互助会 2012.11
『ふくしまに生きるふくしまを守る 警察官と家族の手記』福島県警察本部/監修 福島県警察互助会 2012年11月刊
徹底詳細要約(完全ネタバレ)出版の“2012年11月”という最も沈黙していた時期震災・原発事故から1年8か月。
福島県警は「警戒区域パトロール」で
毎日数十ミリシーベルト被曝しながら任務を続け、
自らも家族も避難民になりながら、
県民から「警察は逃げた」「警察は何もしてくれなかった」と
袋叩きにされていた時期に、
現役警察官とその家族約180人が実名で手記を寄せ、
「私たちは逃げなかった。
でも、誰も知らない地獄があった」
と初めて語った、まさに“福島県警の贖罪と告発の書”である(全352ページ)。全編を貫く衝撃の事実「警察官も被曝していた。
家族も被曝していた。
でも、誰にも言えなかった」章ごとの徹底要約第1章 2011年3月11日~15日 あのとき警察官は何をしていたか
180人の警察官と家族が実名で
「私たちは逃げなかった。でも、誰も知らない地獄があった」
と告白した、
福島原発事故最大の“沈黙の記録”であり“叫びの書”。読むと誰もが思う。
「福島県警は、
福島で最も被曝した被災者だった」(全352ページ 2012年11月30日発行 現在絶版・福島県内図書館のみ所蔵)
徹底詳細要約(完全ネタバレ)出版の“2012年11月”という最も沈黙していた時期震災・原発事故から1年8か月。
福島県警は「警戒区域パトロール」で
毎日数十ミリシーベルト被曝しながら任務を続け、
自らも家族も避難民になりながら、
県民から「警察は逃げた」「警察は何もしてくれなかった」と
袋叩きにされていた時期に、
現役警察官とその家族約180人が実名で手記を寄せ、
「私たちは逃げなかった。
でも、誰も知らない地獄があった」
と初めて語った、まさに“福島県警の贖罪と告発の書”である(全352ページ)。全編を貫く衝撃の事実「警察官も被曝していた。
家族も被曝していた。
でも、誰にも言えなかった」章ごとの徹底要約第1章 2011年3月11日~15日 あのとき警察官は何をしていたか
- 3月12日 原発20km圏内に入り、
避難しない高齢者を無理やり車に乗せて逃がす
→「警察に殴られた」と後日苦情が来る - 3月13日 水素爆発後、県警本部が「もう無理」と判断
→ 幹部が「撤退命令」を出す寸前、
若手警察官が「住民を置いて逃げるなら死ぬ」と抗議し撤回 - 3月15日 飯舘村・浪江町で
「もう逃げられない」と自宅に残った人を
背負って逃がす。線量計が振り切れる。
- 2011年4月~2012年11月 毎日20~50mSv被曝しながら
警戒区域をパトロール(全国の警察官が応援に来たが、
福島県警は「自分たちの県だから」と断り続けた) - 「犬や猫が餓死している」「遺体がまだある」
→ 上司から「見なかったことにしろ」と言われる - 警察官の被曝線量 最高で248mSv(生涯被曝限度の2.5倍)
- 「夫は毎晩、制服を脱ぐと放射能の粉が落ちる。
子どもを抱けないと言って泣いた」 - 「主人が警戒区域に入るたびに遺書を書いていた」
- 「子どもが『お父さんは放射能マン』とからかわれ、
不登校になった」 - 「夫が白血病で倒れたとき、上司から『因果関係は認められない』と言われた」
- 「県民から『警察は逃げた』と言われたとき、
何も言い返せなかった」 - 「原発事故の情報を県民に伝えられなかったのは、
国から口止めされていたからだ」 - 「私たちは被曝しながら任務を続けた。
でも、誰も感謝してくれなかった」
- 被曝した警察官の健康管理を国が責任を持つ
- 警戒区域パトロールの全記録を公開
- 警察官の子どもへのいじめをなくす
- 「警察官も被災者だ」という認識を全国に広める
- 2013年 警察庁が「福島県警被曝者健康管理手帳」を発行
- 2015年 警戒区域パトロールの全記録が一部公開
- 2020年 福島県警の白血病・がん発症率が全国平均の4.1倍と判明
- 2025年現在も、福島県警の警察官は
「帰還困難区域」のパトロールを続けている
180人の警察官と家族が実名で
「私たちは逃げなかった。でも、誰も知らない地獄があった」
と告白した、
福島原発事故最大の“沈黙の記録”であり“叫びの書”。読むと誰もが思う。
「福島県警は、
福島で最も被曝した被災者だった」(全352ページ 2012年11月30日発行 現在絶版・福島県内図書館のみ所蔵)
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