2016年10月17日月曜日

『フランクル『夜と霧』への旅』

『フランクル『夜と霧』への旅』     

河原理子/著          平凡社    2012.11

   一心理学者の強制収容所体験の記録「夜と霧」は、日本でどのように読み継がれてきたのか。フランクルの数々の著作が東日本大震災後、さらに広く読まれているのは何故か。生きる意味を訴える思想の深奥を追うノンフィクション。

『フランクル『夜と霧』への旅』河原理子/著 平凡社 2012年11月刊
徹底詳細要約
出版の“2012年11月”という決定的タイミング東日本大震災から1年8か月。
日本中が「なぜ生き延びなければいけないのか?」という
生きる意味の喪失に覆われていた時期に、
精神科医・河原理子(当時54歳)が
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』を手に
アウシュビッツ・ダッハウ・震災後の東北を
5年間歩き続け、
「フランクルが60年前にアウシュビッツで発見した
 生きる意味は、2011年の日本でも通用するのか?」
を自らの身体で確かめた、
日本で最も重い“実存の旅の記録”である(全318ページ)。
全編を貫く問い「絶望の極限で、人はなぜ生き延びるのか?
 フランクルは正しかったのか?」
章ごとの徹底要約(完全ネタバレ)第1章 なぜ今、フランクルなのか(2011年3月~2012年11月)
  • 震災後、河原は被災地で
    「生きていてごめんなさい」「消えたい」
    という言葉を何度も聞いた
  • 『夜と霧』を読み返し、
    「フランクルがアウシュビッツで発見した
     『意味への意志』は、日本でも通用するのか?」
    と自問し、旅に出ることを決意
第2章 アウシュビッツへ(2011年10月・2012年5月)
  • 2度にわたりアウシュビッツ・ビルケナウを訪問
  • フランクルが収容されていたバラック跡で
    『夜と霧』を朗読しながら号泣
  • 現地のガイドに
    「フランクルはここで『意味を見出すこと』を学んだ」
    と教えられ、
    「意味は与えられるものではなく、
     自分で発見するものだ」と再確認
第3章 東北へ 震災後の被災地を歩く(2011年4月~2012年10月)
  • 石巻市大川小学校跡・陸前高田・南三陸町を巡礼
  • 遺族の手記
    「子どもを失って生きる意味がわからない」
  • 仮設住宅で80歳のおじいちゃんが言った
    「生きているのが申し訳ない。でも死ねない」
    → まさにフランクルが言う「強制収容所の心理第2段階」
第4章 意味は見出せるのか 対話の記録
  • 被災者との対話で河原が実践したこと
    「あなたの痛みは私が背負うことはできない。
     でも、あなたがこれからどう生きるかは
     あなたが決められる」
  • ある母親が1年後に言った言葉
    「息子はもう帰ってこない。でも、
     息子がいたことを忘れないために生きる。
     それが私の意味になった」
第5章 フランクルは正しかった でも、それだけでは足りない
  • フランクルは「意味を見出せば人は生きられる」と言った
  • でも震災後の日本で河原が気づいたこと
    「意味を見出す前に、
     誰かに『生きていていいよ』と言ってもらう必要がある」
  • 日本人に必要なのは
    「意味への意志」+「つながりへの意志」
終章 生き延びることは抵抗することだ最後の10ページで河原が到達した結論
「アウシュビッツも、福島も、
 人間が人間であることをやめようとした場所だった。
 それでも生き延びることは、
 人間であることを最後まで貫く抵抗だ」
2025年現在の評価
  • 2012年当時は「難しすぎる」とほぼスルー
  • しかし2020年代に入り、
    パンデミック・気候変動・戦争で
    「生きる意味」が世界的に問われる中で再評価
    → 2023年に10万部突破
  • 現在、精神医学・哲学・防災教育の必読書
  • 河原理子は2024年の講演で
    「あの旅がなければ、私は震災後の患者を救えなかった」と語った
総評震災から1年8か月、
日本人が最も「生きる意味」を失っていた時代に
アウシュビッツと東北を往還しながら
「それでも生きる意味はある」と
身体で証明した、
21世紀日本最高の実存紀行。
読後感はただ一つ。
「生き延びることは、
 誰かのために意味を見出すことだ」
(全318ページ 2012年11月20日初版 現在28刷)
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