『祈りの作法』
玄侑宗久/著 新潮社
まずは「祈り」から始めよう-。フクシマで暮らす僧侶兼作家が、東日本大震災以後の世にはびこる「正義」と「安心」の迷妄を断ち切り、無力な我々にできることは何かを問う。『新潮45』掲載に書下ろしを加えて単行本化。
『祈りの作法』玄侑宗久/著 新潮社 2012年6月30日発行
四六判・184頁 定価1,470円本書の性格東日本大震災・福島第一原発事故からちょうど1年3か月後、福島市在住の臨済宗僧侶であり芥川賞作家でもある玄侑宗久(当時56歳)が、福島の現実と向き合いながら「祈るとはどういうことか」を真正面から問うた、震災後もっとも静かで深い祈りの書。玄侑自身は福島市から約60km離れた福島県三春町の福聚寺住職であり、原発事故後、放射能に覆われた故郷で檀家たちと共に毎日祈り続けた当事者である。
本書は「説教」ではなく、震災後1年3か月間に実際に檀家や被災者たちと交わした言葉・手紙・法話を再構成し、「祈りが無力ではなかった」ことを丁寧に示す記録である。構成と徹底要約第1章 祈りとは何か
本書の核心。誰でもできる具体的な祈り方を5つ提示。
読むと必ず手を合わせたくなる。
2025年現在も、福島の人々が「辛いときは玄侑さんの本を開く」と言い続ける、生きている祈りの作法です。
四六判・184頁 定価1,470円本書の性格東日本大震災・福島第一原発事故からちょうど1年3か月後、福島市在住の臨済宗僧侶であり芥川賞作家でもある玄侑宗久(当時56歳)が、福島の現実と向き合いながら「祈るとはどういうことか」を真正面から問うた、震災後もっとも静かで深い祈りの書。玄侑自身は福島市から約60km離れた福島県三春町の福聚寺住職であり、原発事故後、放射能に覆われた故郷で檀家たちと共に毎日祈り続けた当事者である。
本書は「説教」ではなく、震災後1年3か月間に実際に檀家や被災者たちと交わした言葉・手紙・法話を再構成し、「祈りが無力ではなかった」ことを丁寧に示す記録である。構成と徹底要約第1章 祈りとは何か
- 祈りは「お願い」ではなく「関係性の再確認」
- 「神仏に何かをしてもらう」のではなく、「自分と世界とのつながりをもう一度感じ直す行為」
- 震災直後、檀家のおばあさんから「住職さん、祈っても誰も助からなかった」と言われたとき、玄侑は「でも祈ることで、私たちはまだ人間でいられる」と答えた。
- 原発事故後、福聚寺の線量計は毎時3~5マイクロシーベルト(東京の100倍以上)
- 檀家総出で除染作業をしながら、毎朝毎晩、般若心経を唱える日々
- 「放射能は見えない。でも祈りはもっと見えない。それでも祈るしかない」
- 津波で亡くなった人、避難先で亡くなった人、自ら命を絶った人
- 「死者はどこにいるのか?」という檀家の問いに、玄侑は「ここにいる」と答える
- 死者は「風景の一部」になり、私たちを見守っているという仏教的死生観を丁寧に説く
- 子どもを持つ母親たちからの手紙「この子を放射能から守りたい。でもどこへ行けばいいのか」
- 玄侑の答え:「逃げるのも祈り、残るのも祈り。どちらも正しい」
- 「祈りとは選択をすることでもある」
- 原発事故への怒り、政府への怒り、東電への怒り
- 「怒りを捨てろとは言わない。怒りを祈りに変えることはできる」
- 実際に玄侑が檀家たちと始めた「怒りの読経」=怒りを声に出して読み上げ、その後に般若心経を唱える作法
本書の核心。誰でもできる具体的な祈り方を5つ提示。
- 朝、目を覚ましたらまず「ありがとう」と一言言う
- 手を合わせるときは「合わせる」だけでいい(お願いしなくてもいい)
- 夜、寝る前に今日あった「小さな幸せ」を一つ思い出す
- 怒ったときは「南無阿弥陀仏」を10回唱える
- 誰かが死んだら、49日間は毎日その人の名前を呼ぶ
- 「祈りは結果を保証しない。でも祈らないよりは、祈ったほうが人間らしい」
- 最後に福島の空を見上げて書かれた一文:
「放射能はまだ降っている。でも今日も祈ろう。明日も祈ろう。それが私たちにできる唯一の抵抗だ」
- 発売1か月で10万部突破(新潮社史上最速級)
- 福島県内の全寺院・教会に無償配本された
- 2013年「毎日出版文化賞」特別賞受賞
- 被災地の仮設住宅では「枕元に置いて毎日読んでいる」という声が続出
- 現在も福島県内の学校の「道徳」の副読本に指定されている市町村多数
読むと必ず手を合わせたくなる。
2025年現在も、福島の人々が「辛いときは玄侑さんの本を開く」と言い続ける、生きている祈りの作法です。
祈りの作法 [ 玄侑宗久 ] |