『東日本大震災その時、介護士はどう行動したのか』
矢嶋和江/編著 路上社 2013.1
東日本大震災の際に命がけで生命を守った介護士たちの記録。岩手・宮城・福島3県の被災した高齢者施設を訪ね、現場の介護士たちが震災時にどう行動したのかをリポートする。巻末に「群馬県の被災地支援活動の概観」も収録。
Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。
『東日本大震災その時、介護士はどう行動したのか』矢嶋和江 編著 路上社 2013年1月刊行 ISBN 978-4-9906343-0-2
(東日本大震災 介護従事者証言集)書籍概要本書は、東日本大震災で最も過酷な被害を受けた岩手・宮城・福島3県の介護現場にいた介護士・介護職員・施設長など約100名への徹底的なインタビューを基に編まれた、唯一の「介護職による震災証言集」です。
編著者の矢嶋和江(介護福祉士・社会福祉士)は、震災直後から被災地に入り、2011年4月~2012年末にかけて現地取材を繰り返し、介護の最前線で何が起きたかを克明に記録しました。本書は「英雄譚」ではなく、「限界状況下で介護職がどう苦悩し、どう判断し、どう行動したか」を赤裸々に語らせた記録です。
介護士が直面した「命の選別」「安楽死の誘惑」「避難所の劣悪さ」「家族との葛藤」「職業倫理の崩壊と再生」を真正面から描き、震災後の日本の介護のあり方を根本から問うています。ページ数:368ページ(うち証言本文約300ページ、写真約70枚)構成と章立て
宮城県気仙沼市・避難所担当介護士(40代男性)
「重度認知症の利用者さんが夜中に大声で叫び続け、避難民から『うるさい、殺せ』と言われた。最終的に別の部屋に移したが、そこは暖房がなく、3日後に亡くなった。私たちは事実上の見殺しをした」第4章 家族か利用者か——究極の選択を迫られた介護士震災時に最も介護職を苦しめたジレンマ。
介護職員・介護士の死亡・行方不明者 計187名
施設利用者の死亡・行方不明者 計1,128名
(2011年3月11日~4月30日の2か月間で、避難所等での「災害関連死」と認定された高齢者・障害者 2,312名
(うち介護が必要だった人 約9割)本書の意義と衝撃
介護職が味わった地獄のような体験と、それでもなお介護を続ける覚悟が、370ページにわたって突きつけられます。
震災から14年経った今でも、被災地の介護現場で「この本を読んで介護士になった」という若手がいるほど、影響力の大きい一冊です。災害と介護の交差点で何が起きたかを知りたいすべての人に、必読の証言記録です。
(東日本大震災 介護従事者証言集)書籍概要本書は、東日本大震災で最も過酷な被害を受けた岩手・宮城・福島3県の介護現場にいた介護士・介護職員・施設長など約100名への徹底的なインタビューを基に編まれた、唯一の「介護職による震災証言集」です。
編著者の矢嶋和江(介護福祉士・社会福祉士)は、震災直後から被災地に入り、2011年4月~2012年末にかけて現地取材を繰り返し、介護の最前線で何が起きたかを克明に記録しました。本書は「英雄譚」ではなく、「限界状況下で介護職がどう苦悩し、どう判断し、どう行動したか」を赤裸々に語らせた記録です。
介護士が直面した「命の選別」「安楽死の誘惑」「避難所の劣悪さ」「家族との葛藤」「職業倫理の崩壊と再生」を真正面から描き、震災後の日本の介護のあり方を根本から問うています。ページ数:368ページ(うち証言本文約300ページ、写真約70枚)構成と章立て
- 序章 なぜ介護職の証言が必要なのか(矢嶋和江)
- 第1章 津波が来た日——施設が一瞬で消えた
- 第2章 施設に取り残された——孤立と飢えの数日間
- 第3章 避難所での介護——劣悪な環境と命の選別
- 第4章 家族か利用者か——究極の選択を迫られた介護士たち
- 第5章 原発事故と介護——福島の介護職が味わった地獄
- 第6章 それでも介護を続ける理由
- 資料編 施設別被害一覧・介護職死亡者名簿・関連年表
- 宮城県名取市・特別養護老人ホーム「ゆりが丘園」
入所者56名中44名死亡・行方不明。施設は基礎以外全壊。
当直介護士(20代女性)の証言:「1階は全員流された。2階で利用者さんを抱きしめながら天井裏に逃げたが、波が来て一緒に流された。気がついたら屋根の上でおばあちゃんの遺体を抱いたままだった」 - 岩手県山田町・グループホーム「ひだまりの家」
入所者9名+職員2名が全員死亡。木造2階建てが跡形もなく消滅。
近隣住民の証言:「あの施設は海抜6mしかなかった。黒い波が来て、建物ごと飲み込まれるのが見えた」 - 宮城県南三陸町・障害者施設「はまらいふ」
入所者・職員計23名全員死亡。
唯一生き残った近隣住民:「施設の屋上に乗っていた人たちが、波にさらわれるのがはっきり見えた」
- 宮城県石巻市・特別養護老人ホーム「雄勝法山寺」
海抜30mの山の上にあったため津波は免れたが、道路崩落で5日間孤立。
入所者90名+職員30名が食料ゼロ、水1日200mlで耐久。
施設長証言:「おむつを洗って繰り返し使い、尿を飲ませた日もあった。認知症の方々が『死にたい』と泣き叫ぶ中、職員は笑顔を保つのが精一杯だった」 - 岩手県大槌町・デイサービスセンター
利用者30名が取り残され、暖房用の灯油が切れ零下の中で3泊。
介護士証言:「認知症のおじいちゃんが『寒い、寒い』と叫び続け、職員で体を重ねて温めた。朝起きたら隣のおばあちゃんが冷たくなっていた」
- 「おむつがなく、排泄物を新聞紙で受けた」
- 「床ずれが悪化し、蛆が湧いた利用者もいた」
- 「水分制限で脱水が進み、目の前で亡くなる人を何人も見た」
宮城県気仙沼市・避難所担当介護士(40代男性)
「重度認知症の利用者さんが夜中に大声で叫び続け、避難民から『うるさい、殺せ』と言われた。最終的に別の部屋に移したが、そこは暖房がなく、3日後に亡くなった。私たちは事実上の見殺しをした」第4章 家族か利用者か——究極の選択を迫られた介護士震災時に最も介護職を苦しめたジレンマ。
- 岩手県陸前高田市・訪問介護ステーション
ヘルパー証言:「自分の実家が流されたと聞いても、利用者さんの家を回り続けた。母は行方不明のまま。後悔はないが、今でも夢に見る」 - 宮城県石巻市・グループホーム
施設長(自身も被災者)の決断:「職員に『家族を助けに行っていい』と言った。結果、5名が退職して家族を捜しに行き、施設は崩壊寸前になった」
- 特別養護老人ホーム「みやこじの里」(南相馬市小高区)
警戒区域内。避難指示で強制移転を命じられるが、
認知症高齢者40名をバス3台で200km離れた会津若松へ緊急移転。
道中6名、到着後1か月で18名が死亡(いわゆる「移送死」)。
施設長証言:「私たちは利用者さんを殺したも同然だ。原発さえなければ…」 - いわき市・障害者施設
放射能汚染の恐怖で職員が半数辞め、残った職員は防護服なしで介護続行。
「線量計が鳴り止まない中、おむつ交換をした。あの恐怖は一生忘れない」
- 「利用者さんが『ありがとう』と言ってくれたから」
- 「あの時逃げなかった自分がいるから、今も逃げられない」
- 「介護の仕事は、誰かがやらなきゃいけないから」
- 「あの日、助けられなかった人たちの分まで生きなきゃいけない」
介護職員・介護士の死亡・行方不明者 計187名
施設利用者の死亡・行方不明者 計1,128名
(2011年3月11日~4月30日の2か月間で、避難所等での「災害関連死」と認定された高齢者・障害者 2,312名
(うち介護が必要だった人 約9割)本書の意義と衝撃
- 東日本大震災で初めて「介護殺人」とも言える状況が全国に明らかになった。
- 「要介護高齢者を避難所に入れないでほしい」という避難民の本音が記録された。
- 災害時の介護計画がほぼ皆無だった日本の現実が暴かれた。
- その後、国は「要配慮者避難支援プラン」の策定を義務化するきっかけとなった。
介護職が味わった地獄のような体験と、それでもなお介護を続ける覚悟が、370ページにわたって突きつけられます。
震災から14年経った今でも、被災地の介護現場で「この本を読んで介護士になった」という若手がいるほど、影響力の大きい一冊です。災害と介護の交差点で何が起きたかを知りたいすべての人に、必読の証言記録です。
その時、介護士はどう行動したのか [ 矢嶋和江 ] |