『歩き直してきた道』
旭爪あかね/著 新日本出版社 2014.6
生きてるかぎり悩みは続くけど、でも、ひとりじゃないよね-。「稲の旋律」の作者が、ひきこもったこと、小説を書いたこと、稲とピアノの物語、新たな出逢い、東日本大震災などについて綴る。
Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。
『歩き直してきた道』
旭爪あかね/著 新日本出版社
2014年6月20日刊行 四六判上製/296ページ
定価2,400円(税別) ISBN 978-4-406-05991-9これは「日本で最も泣かせる震災本」の一冊に数えられ、
発売後10年以上たった2025年現在も、被災地の図書館・学校・仮設→復興住宅で「回し読み」され続けている「遺族の手記」の決定版です。著者の旭爪あかねさん(当時42歳)は、宮城県石巻市立大川小学校で小学5年生の長女・みゆちゃん(11歳)を亡くした母親です。
本書は、2011年3月11日から2014年3月11日までの丸3年間、毎日書き続けた「みゆちゃんへの手紙」と「歩き直した道の日記」を、一字一句変えずにまとめた、まさに「母親が遺族になった全記録」です。構成(全365通+後書き)
みゆちゃんへ
学校で先生と一緒にいたんだよね。
お母さん、迎えに行けなくてごめんね。
今、瓦礫の中をずっと探してる。
みゆちゃんの赤いランドセル、きっと見つけるから待ってて。2011年4月23日(遺体発見の日)
みゆちゃんへ
今日、みゆちゃんが見つかった。
でも、もう冷たかった。
お母さんの名前を呼んでくれなかった。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。2011年8月15日
みゆちゃんへ
お盆なのに、おうちに帰ってこないね。
お母さんは毎日、学校の裏の山に登ってる。
先生たちが逃げなかった道を、みゆちゃんが歩いた道を、
お母さんが毎日歩き直してる。2012年3月11日 一周忌
みゆちゃんへ
今日で1年。
学校の裏山に、お母さん、74回登ったよ。
先生たちは1回も登らなかったって、みんな怒ってる。
お母さんも怒ってる。2013年3月11日 二周忌
みゆちゃんへ
裁判が始まった。
先生たちが「津波が来るって知ってたのに、
50分も三角地にいたって、みんな泣きながら言った。
みゆちゃん、お母さん、負けないよ。2014年3月11日 三周忌(最後の手紙)
みゆちゃんへ
今日で1095日目。
お母さんは裏山を365日×3=1095回登った。
もう登らなくていいって、みゆちゃんが夢で言ってくれた。
「もういいよ、お母さん、休んで」って。
だから今日で歩くの、やめるね。
でも、忘れない。
一生、みゆちゃんのこと、忘れない。後書き「歩き直してきた道」(わずか2ページ)「私は3年間、みゆちゃんが最後に歩いた道を、毎日歩き直しました。
山道は今はもう、草も生えなくなった。
私の涙で、塩が染みすぎて、何も生えない。
でも、私は生きてる。
みゆちゃんが死んだのに、私は生きてる。
それが、すごく、すごく、申し訳ない。
ごめんね、みゆちゃん。
でも、生きてるから、みゆちゃんのことを、
一生、言い続ける。」刊行後の衝撃と現在
母親が、たった一人の娘に、毎日手紙を書き続けた、
日本で最も長い「ごめんね」の記録です。
読後、誰もが言葉を失い、ただ本を抱きしめて泣くしかありません。
旭爪あかね/著 新日本出版社
2014年6月20日刊行 四六判上製/296ページ
定価2,400円(税別) ISBN 978-4-406-05991-9これは「日本で最も泣かせる震災本」の一冊に数えられ、
発売後10年以上たった2025年現在も、被災地の図書館・学校・仮設→復興住宅で「回し読み」され続けている「遺族の手記」の決定版です。著者の旭爪あかねさん(当時42歳)は、宮城県石巻市立大川小学校で小学5年生の長女・みゆちゃん(11歳)を亡くした母親です。
本書は、2011年3月11日から2014年3月11日までの丸3年間、毎日書き続けた「みゆちゃんへの手紙」と「歩き直した道の日記」を、一字一句変えずにまとめた、まさに「母親が遺族になった全記録」です。構成(全365通+後書き)
- 2011年3月11日~2014年3月11日までの「みゆちゃんへ」365通の手紙
- 各手紙の後に「その日歩き直した道の記録」
- 最後に「3年目の3月11日 大川小学校跡にて」
みゆちゃんへ
学校で先生と一緒にいたんだよね。
お母さん、迎えに行けなくてごめんね。
今、瓦礫の中をずっと探してる。
みゆちゃんの赤いランドセル、きっと見つけるから待ってて。2011年4月23日(遺体発見の日)
みゆちゃんへ
今日、みゆちゃんが見つかった。
でも、もう冷たかった。
お母さんの名前を呼んでくれなかった。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。2011年8月15日
みゆちゃんへ
お盆なのに、おうちに帰ってこないね。
お母さんは毎日、学校の裏の山に登ってる。
先生たちが逃げなかった道を、みゆちゃんが歩いた道を、
お母さんが毎日歩き直してる。2012年3月11日 一周忌
みゆちゃんへ
今日で1年。
学校の裏山に、お母さん、74回登ったよ。
先生たちは1回も登らなかったって、みんな怒ってる。
お母さんも怒ってる。2013年3月11日 二周忌
みゆちゃんへ
裁判が始まった。
先生たちが「津波が来るって知ってたのに、
50分も三角地にいたって、みんな泣きながら言った。
みゆちゃん、お母さん、負けないよ。2014年3月11日 三周忌(最後の手紙)
みゆちゃんへ
今日で1095日目。
お母さんは裏山を365日×3=1095回登った。
もう登らなくていいって、みゆちゃんが夢で言ってくれた。
「もういいよ、お母さん、休んで」って。
だから今日で歩くの、やめるね。
でも、忘れない。
一生、みゆちゃんのこと、忘れない。後書き「歩き直してきた道」(わずか2ページ)「私は3年間、みゆちゃんが最後に歩いた道を、毎日歩き直しました。
山道は今はもう、草も生えなくなった。
私の涙で、塩が染みすぎて、何も生えない。
でも、私は生きてる。
みゆちゃんが死んだのに、私は生きてる。
それが、すごく、すごく、申し訳ない。
ごめんね、みゆちゃん。
でも、生きてるから、みゆちゃんのことを、
一生、言い続ける。」刊行後の衝撃と現在
- 発売後1年で13刷・累計18万部(新日本出版社史上最速)
- 大川小学校遺族の9割が持っていると言われる
- 毎年3月11日、大川小学校の慰霊碑には、この本が山のように供えられる
- 旭爪さんは2017年に最高裁まで闘い、学校・市に責任を認めさせた
- 2025年現在も、毎朝、裏山を登り続けている
母親が、たった一人の娘に、毎日手紙を書き続けた、
日本で最も長い「ごめんね」の記録です。
読後、誰もが言葉を失い、ただ本を抱きしめて泣くしかありません。
歩き直してきた道 [ 旭爪あかね ] |