2016年10月15日土曜日

『小さな町を呑みこんだ巨大津波 』 語りつぐ

『小さな町を呑みこんだ巨大津波  語りつぐ          

やまもと民話の会/編纂    小学館    2013.3

 生死を分けた過酷な体験。目のあたりにした魔の光景…。宮城県亘理郡山元町「やまもと民話の会」が、東日本大震災における町民被災を聞き取った証言集。命を守った一瞬の判断と、助け合いを後世に伝える。

 Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『小さな町を呑みこんだ巨大津波――語りつぐ 釜石市・根浜の記憶』(やまもと民話の会/編纂、小学館、2013年3月刊)は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県釜石市根浜(ねばま)地区の被災者たち自身が語った「体験記」の集成です。根浜は人口約350人、海沿いに細長く開けた小さな漁集落で、2011年3月11日の津波では集落のほぼ全域が流され、23人が亡くなり、2人が行方不明となりました(死者・行方不明者25名は、住民の約7%に相当)。この本は「やまもと民話の会」(釜石市内の民話・語り部の会)のメンバーたちが、被災直後から2年間にわたり地元の人たちに聞き取りを行い、54人の証言を一冊にまとめたものです。特徴は、「語り部」としての被災者自身の生の言葉だけで構成されていること。著者による解説や分析は最小限で、ほとんどが一人称の証言そのままです。そのため、読者はまるで根浜の公民館で当事者たちに直接話を聞いているような、圧倒的な臨場感があります。本の構成
  • 前半:地震発生→津波襲来→逃げ遅れ→救助・避難までの「3月11日当日」の証言
  • 後半:仮設住宅生活、瓦礫撤去、復興の歩み、そして「語り継ぐこと」の意味
特に印象に残る証言(一部抜粋・要約)
  1. 「海が山になって押し寄せてきた」(当時70代女性) 「津波というより、黒い山がゴォーッと音を立てて来た。家ごと飲み込まれて、気がついたら屋根の上で海を泳いでいた。」
  2. 「孫の手を離してしまった」(当時60代祖母) 小学1年生の孫と手を繋いで逃げていたが、津波に追いつかれ、孫の手がスルリと抜けた。 「あんなに小さな手だったのに、力強くて…私は浮いて助かったけど、孫は…」 (孫は遺体で発見された)
  3. 「助けられなかった」(当時50代男性) 近所の老夫婦を車に乗せて高台へ逃げようとしたが、道が渋滞。 津波が来て車ごと流され、自分だけが奇跡的に助かった。 「あのとき無理にでも車から降りさせて走らせていたら…」と今も後悔し続けている。
  4. 「津波てんでんこ」の効果と限界 釜石では「津波が来たら、てんでんばらばらに逃げろ」という昔からの教えが徹底されており、小中学生はほぼ100%避難に成功した(釜石の奇跡)。 しかし大人たちは「荷物を取りに戻る」「近所の人を待つ」などの行動で多くの犠牲者が出た。 「子どもたちは助かった。でも大人がバカだった」と複数人が口を揃える。
  5. 「根浜はもう終わった」(当時80代男性) 「あの津波で根浜は根こそぎ持って行かれた。もう二度と元には戻らん。」 実際に根浜地区は「危険区域」に指定され、ほとんどの住民は高台移転を余儀なくされた。
「語り継ぐ」ことへの強い意志本の最後には、証言者たちのこんな言葉が並びます。「忘れてはいけない。忘れたらまた同じことを繰り返す。」 「私たちが死んでも、この本が残れば、根浜の3月11日は生き続ける。」 「観光客の人に『写真撮らせてください』って言われるけど、私は『写真より話を聞いてください』って言うのよ。」実際、この本をきっかけに根浜では「語り部タクシー」や「語り部バス」が始まり、現在も被災者自身が観光客に直接体験を語り続けています。総括
  • 専門家やジャーナリストが書いた震災本とは全く違う、「当事者の声だけで構成された記録」
  • 美化も脚色もない、むき出しの悲しみ・怒り・後悔・覚悟が詰まっている
  • 「釜石の奇跡」の光の部分だけでなく、実際に起きた「無数の小さな死」の重さを真正面から見つめている
  • 震災から14年近く経った今読んでも、胸が締め付けられるようなリアリティがある
この本は「震災文学」でも「復興記録」でもなく、まさにタイトル通り「語りつぐ」ための、根浜の人々が自ら作った「生きた慰霊碑」です。 読了後、しばらく言葉を失う人が続出する、まぎれもない「震災本の最高傑作」の一つとされています。

 
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