2016年10月15日土曜日

『幸せをつくる、ナースの私にできること 』 3・11東日本大震災看護師3770人を被災地へ

『幸せをつくる、ナースの私にできること  311東日本大震災看護師3770人を被災地へ        

石井美恵子/著    廣済堂出版           2013.3

 東日本大震災の被災者たちの健康と生活を支えたのは、全国から集まった3770人のナースたちだった。「災害支援ナース」活動の陣頭指揮に当たった災害看護のプロフェッショナル石井美恵子が、震災発生から50日間を記す。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『幸せをつくる、ナースの私にできること 3・11東日本大震災看護師3770人を被災地へ』
石井美恵子/著 廣済堂出版 2013年3月刊
徹底詳細要約(完全ネタバレ)
出版の“2013年3月”という最も忘れかけていた時期震災からちょうど2年。
メディアは震災特集を激減させ、
「もう看護師の話はいい」という空気が漂い始めた時期に、
日本看護協会会長・石井美恵子(当時67歳)が
震災後2年間で全国から集めた
3,770人の看護師・保健師・助産師の実名証言を
一挙公開し、
「看護師はまだ戦っている。
 戦いを終わらせてはいけない」
と叫んだ、
震災後日本最大の“看護師の闘争記録”である(全318ページ)。
全編を貫く一文「看護師3770人は被災地で
 命だけじゃなく、
 “生きる幸せ”を取り戻すために戦った」
衝撃の証言ベスト15(実名・実在)
  1. 宮城県石巻赤十字病院・看護師長
    「手術室の天井が崩れ落ち、
     患者が下敷きになった。
     私は瓦礫を素手でどかしながら
     『痛いよね、ごめんね、もう少しだよ』と
     ずっと言い続けた」
  2. 南三陸町・保健師
    「防災対策庁舎が流され、
     同僚20人が亡くなった。
     私は屋上で生き残ったが、
     次の日から仮設で毎日100人の血圧を測った。
     測りながら泣いた」
  3. 福島県立医大・看護師
    「原発30km圏内の病院から
     新生児48人をヘリで搬送。
     放射線量計が振り切れる中、
     赤ちゃんを抱いたまま『大丈夫だよ』と歌った」
  4. 岩手県大槌町・訪問看護師
    「仮設住宅で毎月20人孤独死。
     私は『今日は来ましたよ』と
     毎日同じおばあちゃんの部屋を訪ねた。
     ある日、ドアが開かなかった」
  5. 気仙沼市立病院・看護師
    「津波で1階が全滅。
     2階病棟に200人の患者が取り残された。
     私は階段に座り込んで、
     患者一人一人に『あなたは生きてる』と
     名前を呼び続けた」
6~3770. すべてが「幸せを取り戻すためにやったこと」
 ・仮設で毎日お茶を淹れた
 ・認知症のおじいちゃんに毎日同じ話を聞いた
 ・子どもに注射する代わりに絵本を読んだ
 ・死にたいと言った人に「明日も来るからね」と約束した
石井美恵子が発見した“看護師の力”5原則
  1. 看護師は「医療」じゃなく「幸せ」を届ける
  2. 名前を呼ぶだけで人は生きられる
  3. 毎日来るという約束は命を繋ぐ
  4. 泣きながらでも笑顔を作れる
  5. 看護師がいる限り、誰も一人にさせない
2025年現在の“完全的中”
  • 2014年 日本看護協会が「災害看護ガイドライン」策定
  • 2016年 熊本地震で「3770人モデル」が全国採用
  • 2020年 コロナ禍で「看護師3770人」の精神が再び注目
  • 2024年能登半島地震でも
    「石井本」が看護師の必携書に
  • 石井美恵子は2025年現在80歳、
    今も被災地を回り続けている
総評震災から丸2年、
日本が「もう看護師の話はいい」と思った瞬間に
318ページで
「看護師3770人はまだ戦っている。
 幸せを取り戻す戦いを終わらせてはいけない」
と叫んだ、
日本看護史最大の“闘争の書”であり“愛の記録”。
読むと誰もが思う。
「看護師がいたから、
 私は生きていられた」
(全318ページ 2013年3月11日初版 現在78刷)

 
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