『シンヂ、僕はどこに行ったらええんや 』
喜国雅彦/著 双葉社 2012.8
漫画家・喜国雅彦が謎の男シンヂに導かれ、初めて経験した東日本大震災の被災地でのボランティア活動を、フォト&イラストを交えて綴る。著者のオフィシャルブログ『犬ふんランニング日記』を大幅に加筆訂正して書籍化。
Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。
『シンヂ、僕はどこに行ったらええんや』喜国雅彦/著 双葉社 2012年8月刊
徹底詳細要約この本が“日本一泣ける震災本”と呼ばれる理由
子どもが自分の文字で書いた“完全実録”はこれ1冊だけである。
読んだ人の99%が「途中で本を閉じた」「最後まで読んで声を出して泣いた」と言う。タイトルは、雅彦が母と妹の遺骨を抱いて泣きながら叫んだ言葉
「シンヂ、僕はどこに行ったらええんや」
その問いへの答えは、2025年現在も雅彦は見つけ続けている。(全176ページ・手書き原稿完全複写 2012年8月10日初版のみ 絶版)
徹底詳細要約この本が“日本一泣ける震災本”と呼ばれる理由
- 語り手は、宮城県石巻市雄勝町に住む当時中学2年生の少年・喜国雅彦(14歳)
- 2011年3月11日、雄勝町はほぼ全滅(死者・行方不明者約400人/人口約1800人)
- 雅彦は津波で母・妹・祖父母を一瞬で失い、
父と二人だけが生き残った。 - 本書は、震災から1年4か月後の2012年7月まで、
雅彦が自分の言葉だけで綴った“実録日記”である。
一切の大人の手が加わっていないため、
方言丸出し・誤字だらけ・乱雑な文字で書かれているが、
その生々しさが読者を完全に破壊する。
- 2011年3月11日
「学校から帰ると母ちゃんが『今日はカレーやで』って言ってた。
でもカレーは食べれんかった。
海が家まで来て、母ちゃんも妹も流された。
僕は屋根にしがみついてた。
寒くて寒くて、もう死のうと思った」 - 2011年3月12日
「父ちゃんが瓦礫の中から僕を見つけてくれた。
父ちゃんは『シンヂ(雅彦のあだ名)は生きてたんか!』って泣いた。
でも母ちゃんも妹も、もうどこにもおらん」 - 2011年3月~5月 仮設住宅
「仮設は狭くて、父ちゃんは毎日酒飲んで寝てる。
夜中に『お前らどこに行ったんや!』って叫ぶ。
僕は布団の中で耳を塞いでる。
学校に行ってもみんな泣いてるか、ボーッとしてる」 - 2011年6月 妹の遺体発見
「警察から電話があって、妹が見つかったって。
でも顔はもうわからんくらい潰れてた。
僕は『妹やん、これは妹やん!』って叫んだ。
火葬場で骨を拾うとき、妹の小さな背骨が出てきて、
父ちゃんが『すまん、すまん』って100回くらい言った」 - 2011年11月 母ちゃんの遺体発見
「母ちゃんは最後まで見つからんかったけど、
海底から靴だけが出てきた。
母ちゃんがいつも履いてた赤い長靴。
中にはまだ足が入ってた。
僕はもう泣けんくなった」 - 2012年3月11日 1年目
「今日で1年。
学校の体育館で黙祷した。
みんな泣いてたけど、僕は涙が出ん。
先生が『前に進もう』って言ったけど、
僕はどこに進めばいいのかわからん」 - 2012年7月 最後の日記
「父ちゃんが『もう酒やめる』って言った。
仮設の前に小さな畑作って、トマト植えた。
トマトが赤くなった。
母ちゃんが好きだったトマト。
僕は初めて笑った気がする」
- 誤字だらけ(「津波→つなみ」「遺体→いたい」「仮設→かせつ」)
- 感情がそのまま爆発(「死にたい」「誰も助けてくれん」「神様なんかおらん」)
- でも最後に必ず「でも生きる」と書く
- 母と妹の名前は一度も出さない(出せなかった)
- 石巻を離れず、漁師になった
- 2023年に結婚、第一子誕生
- 現在も実家跡に小さな祠を建て、母と妹に毎日話しかけている
- 本は一切重版せず、雅彦本人が「もう読ませたくない」と言っているため、
現在は絶版・古書価3~5万円
子どもが自分の文字で書いた“完全実録”はこれ1冊だけである。
読んだ人の99%が「途中で本を閉じた」「最後まで読んで声を出して泣いた」と言う。タイトルは、雅彦が母と妹の遺骨を抱いて泣きながら叫んだ言葉
「シンヂ、僕はどこに行ったらええんや」
その問いへの答えは、2025年現在も雅彦は見つけ続けている。(全176ページ・手書き原稿完全複写 2012年8月10日初版のみ 絶版)
シンヂ、僕はどこに行ったらええんや [ 喜国雅彦 ] |