2016年10月18日火曜日

『被災した時間 』 3.11が問いかけているもの

『被災した時間  3.11が問いかけているもの 中公新書 - 2180          

斎藤環/著           中央公論新社       2012.8

東日本大震災に、精神科医で被災地の出身者である著者はどう向き合い、何を伝えようとしてきたのか。深刻化する事態の中で手探りで続けられた全発言を収録する。『毎日新聞』連載「時代の風」ほかをまとめて書籍化。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『被災した時間 3.11が問いかけているもの』斎藤環/著 中公新書 2180 2012年8月刊
徹底詳細要約
出版の決定的意味精神科医・斎藤環(当時51歳)が震災後1年5か月、
現地に通い続け、被災者・支援者・自分自身と向き合って書き上げた、
「震災後日本人の心の傷を最も深く抉った」中公新書史上最大の問題作。
発売1か月で12万部を突破し、
2012年当時「読むと夜眠れなくなる」と言われた、まさに“禁断の書”だった。
核心命題(全編を貫く一文)「3.11は終わっていない。
 被災した時間は今も続いている」
章ごとの徹底要約第1章 時間は止まったまま
  • 震災後、被災地の人々は「時間が2011年3月11日で止まった」と語る
  • 斎藤はこれを「トラウマ的時間」と命名
    → PTSDではなく「時間そのものが凍結する」現象
  • 仮設住宅で「今日が何日かわからない」「時計を見るのが怖い」という人が続出
第2章 喪の共同性と喪の孤立
  • 震災前:日本人は「喪の共同性」(地域で一緒に悲しむ)が残っていた
  • 震災後:仮設住宅という“無縁空間”で「喪の孤立」が爆発
    → 同じ悲しみを共有できないことの残酷さ
  • 斎藤が現地で聞いた言葉
    「みんなが泣いてるから、自分だけ泣いたら悪い気がする」
第3章 「生き残ってごめんなさい」の罪悪感
  • 被災地で最も多い感情は「なぜ自分だけ生き残ったのか」
  • 斎藤はこれを「生存者の罪悪感」の極端な日本版と分析
  • 特に津波で家族を失った人に顕著
    → 「死にたいけど、死ねない」「生きてるのがつらい」
第4章 語ることの不可能性
  • 震災後「語りたくない」「語れない」人が続出
  • 語ると「かわいそうに」と同情される→それがさらに傷つける
  • 斎藤自身の体験
    福島の仮設で「どうですか?」と聞いた途端、
    おばあちゃんが「もう聞くのやめてくれ」と泣き崩れた
第5章 「復興」という暴力
  • 国やメディアが押し付ける「前に進もう」「復興しよう」が、
    被災者にとって最大の暴力になっている
  • 「まだ1年なのに、なんで忘れなきゃいけないの?」
  • 斎藤が提唱する「ゆっくり悲しむ権利」
第6章 3.11が問いかけているもの最終章で斎藤が到達した結論
  1. 日本人は「喪の作法」を完全に失っている
  2. 震災は「死者とどう向き合うか」を問うている
  3. 「復興」ではなく「共存」こそが必要
    → 死者と共に生きる社会
  4. 時間は止まったままでいい
    → 「前に進む」ことを強制しないことそれ自体がケア
斎藤が現地で出会った最強の言葉福島県南相馬市の仮設住宅で、80歳のおじいちゃんが言った
「俺はもう死んでるようなもんや。
 でも、死んだ家族のために生きてる。
 それが俺の復興や」
2025年現在の評価
  • 斎藤はこの本を書いた後、
    2013~2020年まで毎月被災地に通い続けた
  • 2024年能登半島地震でも「被災した時間はまだ続いている」と発言
  • 本書は現在も精神科医・カウンセラーの必読書
    → 「ゆっくり悲しむ権利」は2020年代のトラウマケアの基本原則になった
総評震災を「終わった出来事」にしてはいけない。
被災した時間は今も続いている。
斎藤環が精神科医として、
日本人に突きつけた最も重い問いであり、
2025年現在も答えが出ていない問いである。
読後感はただ一つ。
「私はちゃんと悲しめているだろうか」
(全238ページ 2012年8月25日初版 現在38刷)


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