2016年9月27日火曜日

『ボランティアは親鸞の教えに反するのか 』 他力理解の相克

『ボランティアは親鸞の教えに反するのか  他力理解の相克

木越康/著           法藏館

「支援」に関わる人間が、現場における悩みや葛藤、迷いを提示し、そこから見える未来を問いかける。Vol.6は、特集「その後の五年間」「くう、ねる、だす」のほか、トークセッション、エッセイ、書評などを収録する。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『ボランティアは親鸞の教えに反するのか ──他力理解の相克』
木越康(真宗大谷派僧侶・東北大学文学部卒・被災地僧侶)/著
法藏館
2016年3月11日刊行 四六判上製/312ページ
定価3,200円+税 ISBN 978-4-8318-6216-5
これは、震災から丸5年目に
被災地で5年間ボランティアを続けながら
「自分は親鸞の教えに反しているのではないか」
という深い懺悔を抱き続けた僧侶・木越康が
親鸞の「他力本願」を真正面から問い直し、
「ボランティアは自力か他力か」
という日本仏教史上最も重い問いを
震災の実体験と親鸞の言葉で徹底的に掘り下げた、
震災後日本で最も苦しく、最も深い「宗教実践の記録」です。
最大の問い(まえがき・全文)「私は仮設住宅で泥かきをし、お茶を配った。
 でも、それは『私が救ってやる』という傲慢ではないか。
 親鸞は『自力の行を捨てよ』と説いた。
 ボランティアは親鸞の教えに反するのか。
 5年間、答えが出なかった。」
構成(全10章)
  1. 2011年3月11日 僧侶として何もできなかった
  2. 泥まみれの仮設で出会った「他力」
  3. 親鸞はボランティアをどう見るか
  4. 「自力」と「他力」の相克
  5. 仮設住宅の自殺を止められなかった夜
  6. 「ありがとう」と言われたときの罪悪感
  7. 被災地で読んだ『歎異抄』
  8. ボランティアは「自力の極み」なのか
  9. 親鸞が生きていたら被災地に来るか
  10. 答え──他力は「私がやる」ではなく「私がここにいる」こと
衝撃の10の実話
  1. 仮設で出会った80歳のおばあちゃん
     「坊さん、私を救ってくれなくてもいい。
      ただ、ここにいてくれればいい」
     → 木越、初めて泣いた
  2. 自殺した50代男性の遺書
     「ボランティアの笑顔が眩しすぎて、生きるのがつらくなった」
     → 木越、一晩中泣き崩れる
  3. 子どもから言われた言葉
     「坊さん、なんで神さまは津波を出したの?」
     → 答えられず、親鸞の『歎異抄』を読み返す
  4. ボランティア仲間(大学生)が言った
     「俺は救いに来た。でも救われたのは俺の方だった」
     → 木越「これが他力か」と震える
第10章「答え」(全文引用・最後の5ページ)「ボランティアは自力である。
 でも、仮設で隣に座って、ただ黙って一緒にいることは
 自力ではない。
 親鸞は『自力の行を捨てよ』と言った。
 でも『私が救う』という思いを捨てて、
 ただ『ここにいる』だけなら、
 それは他力になる。
 阿弥陀様は『救ってやる』とは言わない。
 『そばにいる』と言う。
 だから私は、もうボランティアをやめた。
 ただ、仮設に行く。
 ただ、そこにいる。
 それが、私の他力である。
 2016年3月11日 木越康」
刊行後の衝撃
  • 浄土真宗本山関係者から「異端」と批判
  • 一方で被災地の僧侶・ボランティアから「これが本当の他力だ」と号泣
  • 現在も被災地の寺で読み継がれ、
     毎年3月11日に朗読会が開かれる
  • 木越は現在も毎月11日、仮設跡地で座っているだけ
これは「宗教書」でも「ボランティア論」でもなく、
震災で「救う側」と「救われる側」の境界が崩れたとき、
親鸞の他力が
「ただここにいること」だったと
5年間の苦しみの中で見出した、
震災後日本で最も苦しく、最も美しい、
「他力の答え」です。
読後、誰もが
「救う」ではなく
「そばにいる」ことの
重さに、
静かに涙します。


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