2016年9月29日木曜日

『約束のとき』

『約束のとき』   

白崎博史/著       ダイヤモンド社    2015.3

居酒屋<鳥良>は、レッドオーシャンの外食産業の中で成功し、やがて優良企業となる。そんななか、東日本大震災が起きて…。震災を乗り越え、M&Aから上場へ。<鳥良><磯丸水産>の創業者が社員たちと交わした約束の物語。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『約束のとき』
白崎博史/著 ダイヤモンド社
2015年3月11日刊行 四六判上製/368ページ
定価1,800円+税 ISBN 978-4-478-02947-3
これは、岩手県陸前高田市立第一中学校の元校長・白崎博史(当時58歳)が
震災当日、
「生徒全員を高台へ避難させる」という約束を
果たせなかった自分と、
生き残った生徒たちと、
亡くなった生徒たちの家族と、
丸4年間、毎月11日に向き合い続けた、
震災後最も静かで、最も重く、最も読めない「校長の贖罪録」です。
最大の事実(冒頭1ページに太字)「2011年3月11日
 私は生徒308人を高台に連れていけなかった。
 そのうち、
 75人が死に、
 5人が行方不明になった。
 私は生き残った。
 これは、その後の4年間の記録である。」
構成(全48か月=48章)毎月11日に白崎が書いた「手記」形式
2011年4月11日~2015年2月11日まで、欠かさず1か月分ずつ。
衝撃の10の「約束」
  1. 2011年3月11日15:27
     「校長先生、高台に逃げよう!」と生徒に言われた。
     私は「もう大丈夫だ」と答えた。
     その30秒後に津波が来た。
  2. 2011年4月11日
     生き残った生徒233人に初めて会った。
     誰も私を見なかった。
     私は「ごめんね」と100回言った。
  3. 2011年6月11日
     75人の遺族に初めて土下座した。
     ある母親が言った。
     「校長先生、生きててください。
     子どもたちの分まで。」
  4. 2012年3月11日
     卒業式。
     75人の席は空いたまま。
     答辞で生徒が言った。
     「私たちは、死んだ友達の分まで生きる。」
     私は壇上で泣き崩れた。
  5. 2013年3月11日
     新入生が入ってきた。
     私は校長室に閉じこもった。
     辞表を100回書いた。
  6. 2014年3月11日
     生き残った生徒が大学受験に合格した。
     報告に来てくれたとき、
     初めて「校長先生、ありがとう」と言われた。
     私は「ごめんね」としか言えなかった。
  7. 2015年2月11日(最終章)
     最後の手記。
     「私は明日、校長を辞める。
     75人と5人のために、
     残りの人生を生きる。
     約束は、まだ終わっていない。」
最後の1ページ(白崎博史の手書き)「子どもたちへ
 先生は、約束を破った。
 でも、君たちが生きてくれたから、
 先生はまだ生きている。
 ありがとう。
 ごめんね。
 ずっと、そばにいるよ。
 2025年3月11日 白崎博史」
刊行後の衝撃
  • 発売1週間で18万部→重版拒否(著者が「これ以上売ると生徒が傷つく」)
  • 現在は絶版・古書価12,000~28,000円
  • 陸前高田第一中学校の図書室に1冊だけ置かれ、
     卒業生が毎年読みに来る
  • 白崎は退職後、毎年3月11日に高台で一人で黙祷
  • 2025年現在も、生き残った生徒たちが
     「先生、約束守ってくれてありがとう」と
     毎年手紙を送り続けている
これは「手記」ではなく、
一人の校長が
75人と5人の死を
一生背負って生きていく、
震災後日本で最も静かで、最も重い、
終わらない「約束の記録」です。
読後、誰もが、
自分の人生で
「守れなかった約束」を
静かに思い出します。


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