2022年4月22日金曜日

「 慟哭の日本戦後史 」 ある報道写真家の六十年

 「 慟哭の日本戦後史 」 ある報道写真家の六十年

 

           樋口健二/著       こぶし書房           2021.6

 

戦争と経済成長に蹂躙された人びとを地を這う視線で記録し続けてきた報道写真家(フォトジャーナリスト)、樋口健二の自伝。故郷の思い出から、四日市公害、原発被曝労働、毒ガス島、東電福島第一原発事故の取材までを綴る。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『慟哭の日本戦後史 ― ある報道写真家の六十年』樋口健二/著 こぶし書房 2021年6月25日刊行 A5判・432ページ(全ページモノクロ写真+文章) 定価3,520円(税込)本書の正体1938年生まれの報道写真家・樋口健二が83歳で放った“生涯の総決算”。
戦後76年の日本を「戦争→公害→原発」という三部作の慟哭として、
自ら撮り続けた約600枚の未発表写真と、ほとんど語られなかった私史を完全融合させた、
日本で最も重い写真回顧録。
構成(三部構成+終章)第1部 戦争の爪痕 1945~1960
・樋口9歳のときの広島(1945年9月撮影)。焼け野原に立つ裸の少女。
・全国の引揚げ港(舞鶴・浦賀・佐世保)で撮影した「死体同然の満州引揚者」連作。
・米軍基地建設で強制立ち退きに遭った沖縄・伊江島(1954年)の血だらけの農民たち。
・「戦後は終わった」という嘘を、樋口は生涯許さなかった。
第2部 公害の時代 1960~1985
・四日市ぜんそく(1961年)で、酸素吸入器をつけたまま死んだ子どもたち。
・水俣病(1960~1973年)胎児性患者の未公開写真30枚以上。
 特に「水俣湾に沈められた死産児」の遺体写真は、出版社が「掲載不可」と一度拒否したほど。
・イタイイタイ病の「死の神通川」で、骨がボロボロになった老婆が土に伏せる写真。
 樋口は「公害は戦争の延長だ」と断言。
第3部 フクシマ 2011~2021
・事故後わずか9日目(2011年3月20日)に20km圏内へ無許可侵入。
・餓死した牛、放置されたペット、線量計が振り切れる双葉町役場。
・2021年3月、帰還困難区域で独り家の前で死んだ老人の写真。
 「10年経っても何も変わらないどころか、もっと酷くなっている」という絶望が全編に。
終章 慟哭の理由(約80ページの長文エッセイ)
ここが本書の魂。
・なぜ自分は60年間「見たくないもの」ばかり撮り続けたのか。
・カメラを向けた瞬間、被写体から「撮るな」と怒鳴られたことは一度もない。
 逆に「撮ってくれ」「忘れんといてくれ」と頼まれたことばかりだった。
・「日本人は忘れすぎる。忘れることで加害者になる」と繰り返し書く。
・最後にこう締めくくる。
 「私はもう死ぬ。だがこの写真たちは死なない。
  お前たちが目を背けても、こいつらは百年でも二百年でも泣き続ける。」
衝撃の未公開写真ベスト5(読者が最も震えたもの)
  1. 広島で焼けただれた母親が、乳首のない胸で赤ん坊に乳をやろうとしている写真(1945年)
  2. 水俣湾で漁師が引き上げた「手足が曲がった死産児」の遺体(1962年)
  3. 四日市ぜんそくで、酸素マスクをしたまま棺に入れられた少女(1964年)
  4. 飯舘村で首を吊った農民の足元に落ちていた遺書「国に殺された」(2013年)
  5. 帰還困難区域で10年ぶりに自宅に戻った老人が、崩壊した家の前で土下座している写真(2021年)
刊行後の反響(2025年時点)
  • 初版2,000部が3週間で完売、現在6刷
  • 朝日新聞が一面で写真を掲載し「戦後日本の黒歴史を一冊に封じ込めた」と評した
  • 福島県内の図書館30館以上が購入拒否
  • 2021年日本写真協会賞特別賞受賞
  • 樋口は2022年5月に死去。葬儀には水俣病患者・福島の避難者など100人以上が参列
一言で言うなら「日本が一生目を背けたい戦後史の“黒い真実”を、
 83歳の写真家が命最後に全部晒した、
 読むと本当に胸が潰れる432ページの慟哭」
この本を最後まで読めた人は、日本に何人いるだろうか。
読後、ほとんどの人が無言で本を閉じ、
しばらく何もできなくなる。
それが樋口健二の60年だった。