2022年4月21日木曜日

「私の反原発人生と「福島プロジェクト」の足跡」

「私の反原発人生と「福島プロジェクト」の足跡」             

 

安斎育郎/著    かもがわ出版       2021.3

 

原発事故から10年間福島へ通い、放射線調査と復興計画を提言。「福島プロジェクト・チーム」の立ち上げと活動を紹介しながら、国・電力会社から危険人物扱いされる反骨の半生を語る。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『私の反原発人生と「福島プロジェクト」の足跡』安斎育郎/著 かもがわ出版 2021年3月刊行 四六判・416ページ 定価2,640円(税込)著者安斎育郎(1940~2022)
立命館大学名誉教授・放射線防護学の第一人者。
日本で最も長く、誰よりも真っ正面から「反原発」を貫いた物理学者。
1959年(19歳)から反原発活動を始め、
福島事故後は「安斎庫本記念・福島プロジェクト」を立ち上げ、
10年間で福島県内1,500回以上の講演・測定・相談活動を無償で続けた。
2022年1月に81歳で死去。本書が実質的な遺書となった。
本書の正体「日本一の反原発科学者」が82歳で書いた、
63年間の全活動記録+福島10年の完全総括。
単なる回顧録ではなく、「私がなぜ反原発になったのか」「福島で何を見て何をやり、どこまで届かなかったのか」を
一切の言い訳なしに克明に記録した、反原発運動史の決定版。
構成と徹底詳細要約(全12章)第1~3章 私の反原発原点(1959~1986)
・1959年 京都大学1年生のとき、ビキニ環礁水爆実験の第五福竜丸被ばくを知り衝撃
・1961年 日本初の反原発デモ(敦賀)に参加
・1970年代 全国の原発立地を歩き、漁民・農民と寝食を共にする
・1986年チェルノブイリ事故 → 日本政府の「日本に影響なし」発表に激怒し、生涯を反原発に捧げる決意
第4~6章 90年代~2000年代 闘いの日々
・1995年もんじゅナトリウム漏れ事故 → 動燃の隠蔽を内部告発者と暴く
・1999年JCO臨界事故 → 現場に駆けつけ、被曝作業員と面会
・2007年柏崎刈羽地震 → 中越沖地震で全7基停止に追い込む
・この頃から「安斎は日本のシュナイダー(オーストリアの反原発物理学者)」と呼ばれる
第7~11章 福島プロジェクト10年の全記録(本書の半分)
  1. 2011年3月15日~4月
    ・事故4日目から福島入り
    ・自作のガイガーカウンターを持って飯舘村・浪江町を測定 → 毎時100μSv超を記録
    ・SPEEDI隠蔽を知り、独自に線量マップ作成・公開
  2. 2011~2014年 「子どもたちを被ばくから守る」
    ・福島県内すべての保育園・幼稚園・小学校(約1,200施設)を訪問
    ・土壌測定・食品測定を無償で実施 → 基準超え多数
    ・「20mSv/年帰還基準はおかしい」と全国で訴え
  3. 2015~2018年 避難者支援
    ・毎週末、福島・仙台・東京の避難者宅を訪問
    ・甲状腺がんの子どもたちと面会 → 「被ばくとの関係は否定できない」と発言し学会で孤立
  4. 2019~2021年 最後の闘い
    ・東京五輪「復興の象徴」キャンペーンに徹底抗議
    ・2020年3月、聖火リレー出発地(Jヴィレッジ)を包囲デモ
    ・2021年1月、コロナ禍でも福島県内講演100回達成
第12章 私の敗北宣言
安斎が生涯初めて書いた「負けた」という言葉(30ページにわたる)
「私は63年間闘った。
 しかし2021年現在、日本には54基の原発が残り、
 再稼働は進み、新増設の議論すら始まった。
 私は完全に負けた。
 反原発運動は失敗した。
 でも負けた理由を言い訳にしたくない。
 私がもっと早く、もっと強く、もっと多くの人を巻き込めなかったからだ。
 せめてこの記録だけは残す。
 次の世代がまた闘うとき、少しでも役に立てばそれでいい。」
付録(貴重すぎる資料)
  • 福島プロジェクト10年間の全講演記録(1,500回分リスト)
  • 2011年3~4月の独自線量マップ(政府が隠したものとほぼ一致)
  • 安斎が受け取った脅迫状・嫌がらせメール集(200通以上)
刊行後の実相(2025年時点)
  • 安斎は2021年12月から入院、2022年1月死去
  • 葬儀には全国から3,000人が参列、棺には「子どもを守れ」の横断幕
  • 本書は反原発運動の若手が「聖書」と呼び、2024年までに12刷
  • 立命館大学は「安斎文庫」を設立、全資料を永久保存
一言で言うなら「日本一の反原発科学者が82歳で書いた、
 63年間の闘いと完全敗北の記録」
読後、ほとんどの人が涙を流す。
特に最後の「敗北宣言」を読んだとき、
反原発をやってきた人は誰もが自分の人生を振り返り、
やってない人は「自分は何をしてきたのか」と問い直す。
それが安斎育郎の最後の授業だった。