2014年7月9日水曜日

『いまこそ私は原発に反対します。』

『いまこそ私は原発に反対します。』

日本ペンクラブ/編 平凡社 2012.03


言葉は原発の壁を超えることができるのか? 浅田次郎、あさのあつこ、玄侑宗久、竹下景子、俵万智、萩尾望都らが、フクシマの衝撃を小説、詩、エッセイ、評論で表現する。


先日、早稲田大学学探検部の先生とも思われる西木正明さんが寄稿されている本を読みました。書名は、「今こそ私は原発に反対します」です。

日本ペンクラブが出している本です。

僕は、この本の中に、西木正明さんの著作があったので、興味津々に読んでみました。

西木正明さんと言えば、早稲田大学探検部出身の『凍(しば)れる瞳』『端島(はしま)の女』で直木賞を受賞した作家の方です。


早稲田大学探検部の先生とも思われる方です。

 

西木正明さんのウィキペディアはこちら⇒西木正明



本書に寄稿されている西木正明さんの文章は以下のようなものです。

 

会わずに別れた息子への手紙」 

西木正明 (いまこそ私は原発に反対します より)



手紙ありがと。よくオラの居場所がわかったな。と言っても、オラが死んじまった今は居場所もなにもあったもんじゃないがね。

それにしても、オラはまだ死んで間もないので、よもや会ったことのない息子から、手紙をもらうなどとは思ってもいなかった。だから、とてもうれしいよ。

仏壇に置かれた手紙を見ると、君はもう30歳を超えたんだって? いや、月日のたつのはまったく速いもんだね。

だったら、もうすべて承知の上で、オラに手紙をよこしたんだろうから、敢えて教えて当時のことをそのまま言うよ。

君はオラをダディと呼んでくれているが、オラは残念ながら、君の父親ではない。

なに、それも知ってるって?

ああ、そうかい。ならばいっそう、話しやすい。君の母親と別れたのは、まったくもってオラが悪い。当時雑誌の編集者などやっていてな。忙しさを理由に毎晩酒を飲んで、朝帰りも珍しいことではなかった。

外国で生まれ育ち、しかも敬虔なクリスチャンだった君の母親には、とても耐えられない生活だったんだな。だから、いっしょになって一年半余りで別れ、君の母は自分の国に帰ったんだ。
その後しばらく連絡がなかったが、まあ、当然だね。オラに愛想つかして帰ったんだから、なのに別れてから約二年後、君の母親から手紙がきたんで驚いたよ。
《元気ですか。わたしは元気ですから安心してください。実は、ひとつお知らせがあって手紙を書きました。この度、男の赤ちゃんが無事生まれて、母子ともに健康です。もちろんあなたの子です。名前はわたしの現在の夫につけて貰いました。ダレルといいます。もうわだかまりもないので、会いたければ会わせてあげます。取り急ぎ連絡まで。》
だいたい、こんな内容だったな。で、このこと自体は、君がこの世に生まれてきただからまことにけっこうなことだけど、少しばかり困ったのは、オラと君のお母さんと別れてから、二年後に君が生まれたというあたりだったね。
とりたててどうこう言うほどの問題でもないけれど、人間は孕み期間が二年近いゾウと違って、いわゆる十月十日だろ。
しかし、人間、折々の時に折々の都合があるからな。今もそうだけど、当時はもっとロクデナシで大酒飲みだったオラが、君の母親にしてやれることは、それぐらいだと思ったから、それでいいということにしたんだ。
え?ありがと、だって。いや、そんなこと言われる筋合いはないから、いいよ。
さっきも言ったように、オラは酒の飲み過ぎで死んじまったから、今は天国にいる。だから、今この瞬間も、君の顔を見ることが出来る。いい顔してるじゃん。君の母さんに種蒔いた人は、きっと男前だったんだな。
なんだと、今君の母親は、その人といっしょに生活してるって?いや、すまん。よけいなこと言っちまった。今オラが言ったことは、母さんには言わないでくれ。
なに、さっきからなぜ自分のことを、オラというかって?
理由はふたつ。東北の山奥の出身で、子供の頃から、自分をそう言っていった。もう一つ理由は、オラがかつて雑誌の編集者をしていた頃からの友人が、作詞した歌が大好きでね。
『帰ってきたヨッパライ』っていうタイトルで、作詞はオラの旧友の松山猛で、作曲はたしか加藤和彦だったな。
 オラは死んじまっただ、というのが冒頭の歌詞で、それがなんとも言えないほど滑稽で物悲しく、しかもどこか甘い響きのある歌でね、酔っ払って歌っているうちに、言葉が子供時代に戻っちまって、自分のことをオラというようになっちまった。
で、だ。
君から手紙をもらってうれしさの余り、よけいなことを書いたけど、今日はひとつ、聞いてもらいことがある。
もう知っていると思うけど、昨年日本は大変だったんだ。そうそう、大地震と大津波が来てな。
地震そのものの被害より、津波の被害のほうが何百倍も大きかった。そうなった原因のひとつが、原子力発電所だ。
電力会社や政府の人が言っていたよ。ソウテイガイのことが起きたって。
ソウテイガイって、想像もつかないことだろう。でも、オラのような市井の片隅、なんちゃって、かっこつけて言ったけど、要するに普通の生活をしているオラのような人間は、オカミや専門家はすべて想定内で物事を推し進めてきたと思ってたんで、ああ言われて驚いたね。
地震そのものは自然現象なんで、いわば神さまか仏さまに聞かなきゃ、どのくらいのものが来るのかわからないかも知れない。オラだってそれくらいのことは理解する。
でもな、だったらそんなに危ないものに手を出しちゃいけないって、オラなんか思っちまうだな。
実のところオラは、若い頃からロクでもない生き方をしてきたんで、ある時から少しばかり心を入れ換えた。ある時というのは何時だって?そうだなあ、あれは今からかれこれ三〇年ばかり前からかな。
それまでは、原発にも原爆にも、とんと興味がなかった。それが急に気になりはじめたのは、仕事と道楽を兼ねて南太平洋の島々を徘徊するようになってからだ。
もともと釣りが好きなので、日本の渓流や川、海はもちろん、海外まで足を延ばして釣り歩いていた。
その中に、一九五〇年代後半から六〇年代はじめ、こういう言い方はしたくないけど、君の母ちゃんの母国アメリカやイギリスが、水爆実験を繰り返した南洋のクリスマス島なども入っていた。実験直前から太古の昔からそこで暮らしていた住民を他の島に移住させ、島を取り囲んでいる珊瑚礁の高空で、核実験を行なったんだ。
現在その周辺が、ボーンフィッシュなど、回遊魚の好釣り場になっているんだ。
オラは当初、なにも考えずに、そんなところで竿を振り回していた。それ突然、気になりはじめたのは、およそ二五年前、例のチェルノブイリ原発事故の映像を、テレビで見てからだ。
あの凄惨な映像と、自分が能天気に釣竿を振り回していた南太平洋の真っ青な海とがオーバーラップしてね。いやあ、まいったという気分になったね。
その後は、陽光がきらめく南の海にある核実験の現場跡で、無邪気に釣りに興じていた自分のバカさかげんが恥ずかしくなってなってな。
なにかオラみたいな者でも、出来ることはないかと思っていたら、たまたま『日本ベラルーシ友好協会』っている団体が、オラの郷里秋田にあってな。秋田大学医学部の協力を得て、チェルノブイリの被害がもっとも深刻だったベラルーシから、毎年何人かの若い医者や研究者を呼んで、日本に半年から一年ぐらい住んでもらって、被曝した人たちに対する治療の仕方を勉強してもらったんだ。
これまでなにもしてしなかったという罪滅ぼしの気もあって、オラもこの会に入れてもらって、細々ながら手伝ってきた。もう二〇年以上続けているんで、これまでに約七〇人もの若い医者たちに研修を受けてもらったよ。
だから、今回の大震災の後、そうして縁の出来たベラルーシから、チェルノブイリの事故の被爆者を治療した経験や、治療のデータを提供したい、と言ってきた時はうれしかったね。
さらに何人かは、日本の被災地に入って、足りないと聞いている医師たちといっしょに活動したいと言われた時は、思わず目から汗と鼻水が出たよ。その時はまだ日本の現場が混乱していて、受け入れてもらえなかったのは残念だったけど。
それにつけても、と、その時思ったんだ。原子力なんちゅうものは、神さまの領域のもんだ、と。でなけれゃ、科学技術が世界の最先端を行くこの日本が対応出来ないような、ソウテイガイのことなんて起こるわけがないって。
言ってみれば原子炉なんちゅうものは太陽の化身である天照大御神を閉じ込めた、天の岩戸みたいなものだ。どうにか封印出来ている間はいいが、神の思し召しかなにかで、巨大な自然現象が引き金になって亀裂が出来たら最後、人間の手には負えなくなるんだ。
オラは神についても仏についてもまるで無知だが、なにか絶対的なものの存在は信じることにしている。太陽、つまり核融合を繰り返す巨大な原子炉のようなものを崇拝し、朝焼けの海や山の頂上でご来光に手を合わせるのは、そのためだ。
はじめて連絡をくれた君に、こんなことを言って悪かったような気もするが、たまたま君も、ソウテイガイのこととはいえ、オラが親父だと思っていた時期もあるんだ。その縁に免じて、許してくれ。日本では今、絆という言葉が大流行りしているからな。
さあて、そろそろ一杯やるか。あれ?誰もいないぞ。あ、もしかしてここは、天国じゃないのか。
ありゃ、まわりは犬や猫、ウサギなど、ペットみたいない動物ばかりだ。オラはろくでなしで、人間のオナゴには好かれないけど、なぜか野良犬や野良猫とは仲良くなれた。
子供の頃から、よく野良公の犬や猫を拾ってきて、いっしょに生活したっけ。死んじまう少し前までも、何匹かの野良公といっしょだった。
そうか、わかったぞ。オラみたいな者が、人間さまが天国に来ることを、神さまや仏さまが許して下さるはずがない。
しかし根が小心者なので、地獄に落とされるほどの悪さもしなかった。だからきっと、神さまか仏さまが哀れに思われて、動物たちの天国に回してくれんたんだ。
しょうがない。被災地で親を失ってここにきた犬や猫と、仲良くやるか。ああ、それにしても、一杯やりたいないなあ。

(にしき まさあき・作家)

以上が、早稲田大学探検部の先生とも思われる西木正明さんの「今こそ私は原発に反対します」への寄稿、「会わずに別れた息子への手紙」という文章です。




テレビ、新聞などのマスコミを始め、出版業界、ネット空間でも盛んに使われている言葉、



「ソウテイガイ」「絆」



という言葉に対して、西木正明さんの、権力に対しての反骨精神を感じさせる、文章です。



「ソウテイガイ」に関しては、



西木正明さんは、



「要するに普通の生活をしているオラのような人間は、オカミや専門家はすべて想定内で物事を推し進めてきたと思ってたんで」



と、述べて、普通の市井の人々から見て、オカミ(政府や官庁)や専門家(原子力発電産業に携われる専門家のことだと思います)の「ソウテイガイ(想定外)」という言葉は、予想外の言葉だったと述べています。



「絆」に関しては、


西木正明さんは、

「日本では今、絆という言葉が大流行りしているからな。」

と述べて、「絆」という言葉に対して、皮肉という感じで文章を書いています。

西木さんの普通の市井の人間としての、反骨精神を感じさせる文章だと思いました。


福島原発事故に関しては、



「もう知っていると思うけど、昨年日本は大変だったんだ。そうそう、大地震と大津波が来てな。

地震そのものの被害より、津波の被害のほうが何百倍も大きかった。そうなった原因のひとつが、原子力発電所だ。」



と、津波による、福島原発事故が、東日本大震災による被害を何百倍にも大きくしてまったと述べています。





原子力発電そのものに関しては、



「言ってみれば原子炉なんちゅうものは太陽の化身である天照大御神を閉じ込めた、天の岩戸みたいなものだ。」


と述べて、原子力発電が神の領域のものだとも述べています。

僕がこの文章を読んでいてすごいなと思った部分は、

「なにかオラみたいな者でも、出来ることはないかと思っていたら、たまたま『日本ベラルーシ友好協会』っていう団体が、オラの郷里秋田にあってな。秋田大学医学部の協力を得て、チェルノブイリの被害がもっとも深刻だったベラルーシから、毎年何人かの若い医者や研究者を呼んで、日本に半年から一年ぐらい住んでもらって、被曝した人たちに対する治療の仕方を勉強してもらったんだ。」

という部分です。

「チェルノブイリ原発事故の被害を被ったベラルーシから毎年何人かの若い医者や研究者を呼んで、日本に半年から一年ぐらい住んでもらって、被曝した人たちに対する治療の仕方を勉強してもらったんだ。」

という部分は、著者が、福島原発事故以前から、チェルノブイリ原発事故の被害を被っているベラルーシから若い医師や研究者を呼んで、治療の仕方を勉強してもらったという部分がすごいなと思いました。

きちん、現実を見てから(知ってから)、ご自分の出来ることをしていたことがすごいと思いました。
 


早稲田大学探検部関係者の方々には是非一読していただきたい本です。
 
 
いまこそ私は原発に反対します。
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