SUPPORT(ご支援を)カンパを

 SUPPORT(ご支援を)カンパを

 ご支援(カンパ)を頂ければ幸いです。

 何度もブログに書いてますが、2014年の3月から、地元、文京区立図書館を利用して、東日本大震災に関する書籍を詳しく調べています。蔵書は3500冊以上あり、東日本大震災を契機に書かれた本が非常にたくさんあることが分かりました。

 自分のTwitterのアカウントを通じて、一冊一冊、紹介文を付けて、読んだ本で感想を書ける本については感想も書いて紹介しています。

  今までに紹介した冊数は3500冊以上です。

  2014年から本格的にブログを書き始めて、2022年までに無給で3000以上のブログを書きました。

 何度もブログに書きましたが、経費が非常にかかっています。

 経費は400万円以上かかっています。

 別に誰から、強制されて、始めた作業ではありません。

 自分で、開設しているTwitterのアカウントのフォローワーさんを分析して、役に立つと思い、紹介活動をしてブログを書いてきました。

 2014年の3月から、8年以上の間、ほぼ、東日本大震災関連書籍の紹介活動をしてきました。

 それと並行して無給で3000以上のブログを書いてきました。

 もちろん、自分で思い立って始めた作業ですから、言い訳はしたくありません。

 ただ、この紹介活動とブログ執筆で、多大な経費がかかってしまいました。

 経費は400万円以上を超えています。

 もし、「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」「上原和明のブログ ”Don't give up」を

  をご覧になって、何か共感することのある方がいらっしゃいましたら、誠に僭越ですがカンパを頂ければ幸いです。特に早稲田大学探検部関係者からの支援を望んでいます。

 僕がTwitterを開設したのは、2010年1月24日に早稲田大学探検部33期で同期だった森山憲一より、早稲田大学探検部35期の河合圭祐君が肺がんで余命いくばくもないので早稲田大学探検部のみんなで医療費のカンパをとのメールが届き(医療費のカンパは200万円以上集まったようです)、森山憲一のメールに心を動かされ、2010年2月よりTwitterを開設しました。

2010年1月24日に僕のメールアドレスに届いた森山憲一からのメールは以下です。

森山憲一からの2010124日のメール」

2010年1月31日の早稲田大学探検部関係者によるメールのやり取りは以下です。

 「河合圭祐君へのカンパについて2010131日のメールのやり取り」

 肺がんで亡くなった早稲田大学探検部35期の故河合圭祐君も写っている早稲田大学探検部時代の東北みみづくUFO探査の際の集合写真はこちら

                 ↓


右上2人目が亡くなった故河合圭祐君の早稲田大学探検部時代の勇姿です。

僕が故河合圭祐君のことについて書いているブログはこちら

「河合圭祐君のこと」

 この写真についての早稲田大学探検部34期OBの正木敬夫とのメールでのやり取りは以下のようなもです。

 「早稲田大学探検部34OB正木敬夫君との故河合圭祐君の写っている写真についてのやり取り」

 河合圭祐君のことがあってから2010年11月12日金曜日に新宿区神楽坂で早稲田大学探検部OBの吉澤基勝先輩、向井徹先輩、森山憲一、宮澤信也、伊東謙治、正木敬夫、上原和明の7人で飲んだときの集合写真はこちら

                 ↓


 左から森山憲一(33期)、吉澤基勝先輩(32期)、向井徹先輩(32期)、伊東謙治(34期)、上原和明(33期)、宮澤信也(33期)、正木敬夫(34期)です。

 神楽坂の飲み会の席で僕が吉澤基勝先輩に「働けってことでしょ」と発言したことについて書いているブログはこちら

 →「神楽坂での、「働け」っていうことでしょう。発言」

  「2010年2月にTwitterを開設して以来、早稲田大学探検部のためにとてつもない量のツイートをしてきました。

 早稲田大学探検部のことを思ってTwitterを運営してきました。

 僕の思いが早稲田大学探検部関係者に届いているか分かりませんが、何か感じ入るところがありましたら、是非、早稲田大学探検部関係者からのカンパをいただけることを願っています。

 僕の父は89歳で心房細動で一日8錠の薬を飲んでいます。

 僕の父は、新潟県上越市板倉の出身です。中学校しか卒業していません。上京後、東京都中央区の旅館で働き、東京都文京区水道(有楽町線 江戸川橋駅の近く)にラーメン屋(屋号 和光 のれんには「味の店」と書かれていました。)を開き母とお見合い結婚。ずっと働きづめでした。父の故郷の新潟県には父の先祖の家はもうありません。父のお父さんのお墓が新潟県上越市にあるだけです。

 父の田舎の新潟県には小学生の頃に、スキーをしに赤倉温泉スキー場に連れて行ってもらったりして楽しい思い出があるのが新潟県です。

 僕の母は85歳で脊柱管狭窄症で、体のあちこちが痛い痛いと言って、苦しい苦しいと言っています。

 僕の母は、茨城県高萩市の出身です。中学校しか卒業していません。上京後、東京都板橋区の福芳材木店で家政婦をして働き、父とお見合い結婚。父の開いた東京都文京区水道のラーメン屋でずっと働きづめでした。

 僕の母を産んだお母さんは母を産んだ後に亡くなっています。

 その後、母のお父さんは再婚しました。

 僕の母は、産みの親ではなく再婚した育ての親に育てられました。

 僕も子供の頃から母を産んだお母さんが母を産んだ後に亡くなったことを聞かされて育ちました。

 よく産みの親より育ての親と言われますが、まさに僕の母はその典型です。

 僕の母がなにかにつけて、多くの愚痴を言うのは、自分の産みの母親が、母を産んだ後に亡くなっていることから、様々な心の問題を抱えていていると僕は思っています。

 そんな母は脊柱管狭窄症という症状で体のあちこちが痛い痛い、苦しい苦しいと言って僕から見ると本当に辛そうです。

 母は介護施設に入所することも検討しています。

 母の田舎の茨城県高萩には小学生の頃に毎年、夏休みに帰省して、高萩の海で海水浴をしたり、ビーチガーデンというプールで泳いでいました。

 茨城県高萩も僕にとっては楽しい思い出のあるところです。

 僕は54歳です。僕は、都立小石川高校、早稲田大学を卒業しています。30歳の頃に新宿区高田馬場の紫藤クリニックで統合失調症と診断され、精神障害2級の精神障害者手帳を持っています。ルーラン、ユーロジンという薬を服薬しています。長い間、ルボックスという薬も服薬していました。

 2012年頃から胸の痛みを感じ、文京区水道の中原医院に行ったところ、狭心症を疑われ、心臓画像クリニック飯田橋で精密検査(MRIなど)を受け、精密検査の結果、食道裂孔ヘルニアを伴う、逆流性食道炎との診断で2021年まで通院して薬(タケキャブ)を飲んでいました。長い間、高脂血症との診断でコレステロールの値を下げる薬も飲んでいました。2020年にはPSA(前立腺特異抗原)の値が48.920まで上昇し前立腺ガンを疑われ、前立腺炎と診断されて新宿メディカルセンターに入院しました。2020年には文京区茗荷谷のかさい眼科で視野検査をしたところ左目が緑内障と診断されました。

 僕は国民年金は65歳からもらったとしても、最大で月5万2千円くらいしかもらえません。

 僕のおかれている窮状を何とかご理解していただき、早稲田大学探検部関係者からのカンパをいただけることを願っています。

  以下、カンパのための口座です

 ゆうちょ口座 

 銀行名               ゆうちょ銀行 

 店番         018  

 預金種目       普通預金      

 口座番号              1857553

 口座名義人      ウエハラカズアキ

  何卒、「ご支援」(カンパ)をよろしくお願い申し上げます。