2016年10月23日日曜日

『生と死の記録 』 三陸物語 続

『生と死の記録  三陸物語      

萩尾信也/著   毎日新聞社  2012.6

愛する人の死とは? そして遺された者が生き続ける意味は何だろうか? 津波に襲われた三陸の町で、死者の記憶とともに生きる人びとの1年間の物語。『毎日新聞』連載に加筆修正して単行本化。

 本書を読んでの感想は以下です。

「続・三陸物語」

早稲田大学探検部22期OBで、毎日新聞記者だった萩尾信也さんの渾身の著作です。

僕は東日本大震災後に早稲田大学探検部36期OBの遠藤史郎という後輩に誘われた僕の下の代の早稲田大学探検部OBによる飲み会の席で、

「萩尾さん」と言いました。

僕が萩尾さんのことについて書いているブログはこちら


僕が早稲田大学探検部OBの飲み会で「萩尾さん」の名前を出したことについて書いているブログはこちら


 高田馬場の飲み会の席で、早稲田大学探検部36期OBで朝日新聞勤務の大島隆が
「朝日新聞は中国の機関誌ですからね」と僕に言っていたことを書いているブログはこちら
 

 高田馬場の飲み会の席で、早稲田大学探検部36期OBでテレビディレクターをしている遠藤史郎から、上原さん同期の人と会っていますか?と尋ねられたことを書いているブログはこちら


 僕が萩尾信也さんの著作を読むことになったのは、2011年10月2日に早稲田大学探検部OB
会よりメールが届き、萩尾さんの著作を知り、萩尾さんの著作を読むことになりました。

2011年10月2日の早稲田大学探検部OB会からのメールは以下です。


2014年3月11日の毎日新聞の紙面に、3.11から3周年にあたっての萩尾信也さんの書かれている記事はこちら

僕が萩尾信也さんからの年賀状でご一読をと書かれていて、萩尾さんに勧められて読んだ「さよなら仏教」について書いているブログはこちら


2021年4月17日に僕のメールアドレスに届いた萩尾信也さんからのメールは以下です。


 2022年4月17日に萩尾信也さんから僕のメールアドレスに送られてきた記事は以下です


 2023年1月1日元旦に僕のメールアドレスに送られてきた、萩尾さんの書かれた記事は以下です。


 萩尾信也さんは、毎日新聞連載の「生きるものの記録」で「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞している本格派の新聞記者でありジャーナリストです。

 ウィキペディアはこちら⇒萩尾信也

僕は、本書の著者の萩尾さんとは面識があります。

僕が日本電波ニュース社に勤務していた頃に、僕が仕事でカンボジアに行き、カンボジアの現地で萩尾さんと出会いました。

萩尾さんは毎日新聞社に所属するエース級の記者の方で、カンボジアPKO取材の際も、カンボジアの現場で八面六臂のご活躍をしていて、東京のテレビ番組の制作会社の編集室で閉じ籠って、編集の仕事をしていた僕からすると、萩尾さんの現場での取材活動の活躍ぶりは、本当に尊敬の眼差しで、僕は萩尾さんの取材活動を見ていました。

僕が日本電波ニュース社時代にカンボジアに行ったときのプレスカードはこちら




 僕が日本電波ニュース時代に仕事で関わったカンボジアPKO(平和維持活動=Peace Keeping Operation)のことについて書いているブログはこちら。


 



その後何年かしてから、萩尾さんが東京に戻ってから、萩尾さんのご自宅に早稲田大学探検部31期の先輩高野秀行さんと遊びに行きました。

萩尾さんは、僕にいきなり、

「野田知祐」

と言ってきました。

僕早稲田大学探検部在籍中にカナダのユーコン川川下りに行ったことがあるので、多分、「野田知祐」のことが思い浮かんだのだと思います。

そんな僕と面識のある萩尾さんですが、この

「続・三陸物語」の中では、東日本大震災被災地である、岩手県の三陸海岸沿いの釜石市などを舞台に、被災地の物語を紡いでいます。

「続・三陸物語」を読んでいると。

萩尾さんが、小学校の頃から高校生の頃まで釜石で過ごしたこと。

自分の10代の頃の友達が、三陸(東北)にいること。

三陸を取材するにあたって、方言を話せること。

これらの要素も重なり、三陸(東北)を取材するべくして取材されています。

もちろん、20113月に起きた東日本大震災は、新聞社を含めたマスコミ関係で仕事をされている方々にとって、取材するテーマだと思いますが、萩尾さんにとっては自分の10代の頃の友達がいる被災地での取材は、本を読んでいて仕事という枠を超えての生涯をかけるライフワークになっているような感じがました。

本書の中では、三陸の障害者福祉施設、

「慈愛福祉学園」のことも取材されています。

被災地で、穏やかな空気が漂っている、障害者福祉施設

「慈愛福祉学園」のことも良く取材されています。

東日本大震災被災地に赴いても、著者の方が目を向けていられるのは、被災地の中でも立場の弱い、障害者福祉施設のことでした。

著者の方が目を向けられているのが、被災地の中でも立場の弱い、障害者福祉施設だったのは、本当に記者の方が、心が強い方なのだと思いました。

著者は、本書の中で、弱音も吐いています。

今までは、病気をすることなく、被災地を掛けまわってきた記者の方が、インフルエンザで一週間寝込んだとのことも書かれています。

「続・三陸物語」の中では、著者は、春夏秋冬の四季の移ろいを、

「生老病死」に例えています。

「続・三陸物語」を紡ぐことによって、東日本大震災被災地で亡くなった方々を鎮魂するともに記録し続けています。

僕は、何かを書く(物語を紡ぐ)という行為は、本当に何かを書きたい(物語を紡ぎたい)と思って初めて書ける(物語を紡げる)ものだと思っています。

本書を読んでいると、著者の方は、心から、物語を紡ごうとしているのが分かります。

誰からの批判とか全く恐れることなく、自分を信じて、本書を書いている(物語を紡いでいる)ような気がします。

 萩尾さんが紡いでいる物語の中は、東日本大震災が普通の家庭にある、「おやじ臭さ」(おやじの臭い)とか、「おふくろの味」(うるさいおふくろの味)とかに危機を与えてしまった大きな出来事だったともきちんと書かれています。

 著者が見ているのが、普通の人々で、東日本大震災が「おやじの臭い」とか「おふくろの味」とかがある普通の人たちの家庭にも大きな打撃を与えてしまったことも書いています。

 「おやじ臭さ」「おふくろの味」があまり感じられない方にとってはあまり嬉しくない言葉かと思いますが、物語を紡ぐとは、物語を紡いだ人の生活臭も出て来るもだと思います。

 物語を紡いだ著者にとっては、「おやじ臭さ」とか「小うるさいおふくろの味」はなくてはならない、普通の日常にあったものだったのだと思います。

 著者の生活臭を、 おやじ臭さ」「小うるさいおふくろの味」という言葉に感じました。

 福島原発事故に関しては、

 「おれは家もなくしたけど、海も土地も残ってら。だども、福島の人は海も大地も汚された。あれは人災だ。科学を過信して自然をなめたら、またしっぺ返しを食らうべよ」

と三陸の海で暮らす漁師の言葉を引用しています。

 『生と死の記録  三陸物語    P201 上空から 被災地で生きる人々1年 より 

 早稲田大学探検部関係者の方には是非、ご一読していただきたい本です。

                   



 
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