『福島原発、裁かれないでいいのか』 朝日新書 - 500
古川元晴/著 朝日新聞出版 2015.2
福島原発事故に関して、国や東京電力に課されていたはずの刑事上の責任を、「危惧感説」によって解明し、「危惧感説」こそが「危険社会」に適切に対応し得る考え方であることを明らかにする。
先日、図書館で「福島原発裁かれなくていいのか」という本を借りて読んでみました。
福島原発事故をきちんと法の下で裁こうという内容の本でした。
本の中では、刑法211条に定められている、業務上過失致死傷罪について、具体的予見可能性説(すでに起きたことがあり、具体的、確実に予測することができる危険についてのみ、責任を問えるとする考え方)で福島原発事故を考えるのか、危惧感説(今までに起きたことがなく、どのようなメカニズムで発生するのかが確実に分かっていないような「未知の危険」であっても、起きる可能性が合理的に予測される危険については、業務の性質によっては責任を問えるとする考え方)で福島原発事故を考えるのかということを本の中で検証しています。
著者は、具体的予見可能性説の限界を訴えていて、危惧感説で、業務上過失致死傷罪について考えるのが良いと書いています。
経済成長優先の現代日本社会では、科学技術が著しく進歩し、多くの「未知の危険」が潜んでいると考えているようです。
地震大国日本で、原発を運転することが、危険なことだと考えているようです。
現在の東電刑事裁判で、津波の予見可能性が裁判の争点になっていることを考えると、危惧感説ではなく、具体的予見可能性説で、福島原発事故を考えているのだと思いますが、具体的予見可能性説で、福島原発事故の業務上過失致死傷罪を考えてしまうときちんと福島原発事故を裁けるかと疑問に思いました。
この本の巻末に、僕の早稲田大学法学部時代のゼミの先生だった土本武司先生の名前が出ていて、「過失犯理論の動向と実務(3)」(警察研究 54巻6号3頁以下)という文献で、危惧感説を支持していることが分かりました。土本武司さんのウィキペディアこちら→
土本武司
僕が早稲田大学法学部時代に刑事法の勉強を教わった先生が具体的予見可能性説ではなく危惧感説を支持しているなら僕も危惧感説で福島原発事故の業務上過失致死傷罪について考えないといけないと思っています。
先日は「福島原発裁かれなくていいのか」という本を読んでみたので本を読んでの感想を書いておきます。
早稲田大学探検部関係者には是非、ご一読していただきたい本です。