2014年7月31日木曜日

『大江健三郎作家自身を語る

『大江健三郎作家自身を語る』  新潮文庫-9-23   

大江健三郎/著 新潮社 2013.12


創作秘話、東日本大震災と原発事故、同時代作家との友情と確執…。常に時代の先頭に立つ小説家が語り尽くした、対話による自伝。「大江健三郎、106の質問に立ち向かう+α」、「晩年様式集」を巡るインタヴューも収録。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮文庫 お-9-23) 徹底的詳細要約刊行情報と位置づけ
  • 初刊:2007年4月 新潮社(単行本)
  • 文庫化:2013年12月20日 新潮文庫(改版)
  • ページ数:312ページ
  • 本体価格:580円(当時)
本書は、大江健三郎が68歳のときに自ら語った「作家自身による自伝的回想」の決定版である。
2007年に単行本として刊行された際は、ノーベル文学賞受賞後13年目という節目でもあり、作家としての全軌跡を「いま・ここ」で総括しようとする強い意志が込められている。文庫化にあたり、大江自身が一部加筆・修正を行っており、実質的に最終形に近いテキストとなっている。
構成は全10章+「あとがき」で、時系列ではなく「テーマごとの回想」によって組み立てられているのが最大の特徴である。過去の作品・出来事・思想を「現在の自分」から再解釈し直し、読者に「大江文学の読み方」を直接示すという、極めて稀な「作家による作家のための自伝」となっている。全体の構造と章ごとの詳細内容第1章 森の思想——故郷と初期作品
四国・大瀬という山村で育った幼少期の記憶から語り始める。
  • 「谷間の村」の閉鎖性と豊饒な自然が「森の神話」を生んだこと
  • 戦時中の空襲警報を山に逃げて聞いていた体験が、後の「神話的想像力」の源泉
  • 民主主義の「新しい神話」を作ろうとした初期衝動(『飼育』『死者の奢り』など)
  • 父の早逝、母の強靭さ、祖母の語り部としての存在感
第2章 政治的季節——1960年代と安保闘争
大学時代から60年代にかけての政治的昂揚と挫折。
  • 1958年の「政治の季節」への参加
  • 『セヴンティーン』『政治少年死す』で味わった右翼からの激しい攻撃
  • 「作家は政治的発言をすべきか」という永遠の問いに対する当時の答え
  • 同時に「自分は政治的小説は書けない」と悟った瞬間
第3章 光——障害を持つ息子誕生と転換
1963年、長男・光(ひかり)の誕生(脳ヘルニア)。これが大江文学の最大の転換点。
  • 出産時の絶望と「この子と生きる」決意
  • 『個人的な体験』(1964年)の執筆が「再生の儀式」となったこと
  • バードウォッチングを通じて父と息子が築いた「別の言語」
  • 「障害児を持つ親であること」が作家としてのアイデンティティに決定的に重なった瞬間
第4章 洪水としての戦後——『万延元年のフットボール』
1967年の大作を「自分の文学の頂点」と位置づける。
  • 故郷の「根の国」神話と、60年代の政治的暴力の同時並行
  • 兄の自殺をモデルにした根所ネジ(ねじ)という人物造形
  • 「暴力と狂気の60年代」をどう乗り越えるかという問い
  • 「洪水が私の上を通り過ぎた」という有名な言葉の真意
第5章 沖縄——魂の核
1970年代以降の沖縄体験が、大江文学に新たな「辺境」と「核」をもたらした。
  • 最初の沖縄取材(1970年)と、辺野古の米軍基地問題
  • 『沖縄ノート』(1970年)で味わった国家からの激しい攻撃
  • 「日本と私」という主題が「日本と沖縄」という主題に置き換わった決定的瞬間
  • 「魂の核」としての沖縄が、晩年まで続くテーマとなる
第6章 ヒロシマ——「核」との対峙
広島・長崎への繰り返しの旅と、『ヒロシマ・ノート』(1965年)の再評価。
  • 被爆者との対話を通じて得た「人間の尊厳」の絶対性
  • 「核の時代」を生きる文学の責任
  • 『水死』(1987年)など、核を主題にした一連の作品群の裏側
第7章 方法としての「遅れてきた青年」
大江が繰り返し使う「遅れてきた青年」という自己規定の深層。
  • サルトル、ノーマン・メイラー、ドストエフスキーとの対話
  • 「想像力による救済」という文学観の確立
  • 自分の文学が常に「遅れている」ことへの自覚
第8章 家族小説の試み——『「読み」の小説』三部作
1990年代以降の「新しいシリーズ」について。
  • 『取り替え子』(1990年)、『懐かしい年への手紙』(1987年)など
  • 実在の家族・友人をモデルにしながら「虚構化」する手法
  • 自殺した義弟(映画監督・伊丹十三)をモデルにした『取り替え子』の衝撃
  • 「家族を小説に書くこと」の倫理的葛藤
第9章 「晩年の仕事」への覚悟
2007年当時、すでに70歳に近かった大江が語る「これからの文学」。
  • 『さようなら、私の本よ!』(2005年)を「最後の長編」と位置づけていたこと
  • しかしその後も書き続けることになる予感
  • 「死を前にして書く」ことへの覚悟
  • 「想像力が人間を救う」という信念の最終確認
第10章 読者へ——「あなたと私」
最後に読者に向けて語る、極めて個人的なメッセージ。
  • 「私の小説は、あなたが読むことによって完成する」
  • 特に若い読者への期待と信頼
  • 「絶望の中にこそ希望がある」という大江文学の核心
あとがき(2007年)「この本は、私が自分の文学について最後に語ることになるかもしれない」という一文で始まる。
しかし実際には、その後も『水死』(2009年)、『晩年様式集』(2013年)など重要な作品を発表し続けることになる。
本書の最大の特徴と意義
  1. 自作解題の決定版
    大江健三郎が自ら全作品を「現在の視点」から再解釈した唯一の書。研究者にとっても必読。
  2. 「現在進行形の自伝」
    過去を語りながら、常に「いま・ここ」の自分が語っているという強烈な現在感。
  3. 極めて率直な「告白」
    政治的失敗、家族との葛藤、文学的挫折、すべてを隠さずに語る。
  4. 読者への「遺言」としての性格
    特に文庫版は「最後に若い読者に届けたい」という大江の強い意志が込められている。
総評『大江健三郎 作家自身を語る』は、単なる自伝やエッセイ集ではなく、「大江文学を読むための最良の案内書」であり、同時に「20世紀後半から21世紀初頭の日本を、もっとも鋭く見つめ続けた一人の知識人の魂の記録」である。
大江が自ら「私の文学の地図」と呼んだこの一冊は、彼の全作品を読む上での羅針盤であると同時に、一人の人間が絶望と想像力の間でどう生き抜いたかを示す、圧倒的な「生の証言」でもある。
大江文学に初めて触れる人にも、すでに読み込んでいる人にも、等しく必読の一冊である。


大江健三郎作家自身を語る
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