『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』 虐殺の国家責任と民衆責任
山田昭次/著 創史社 2011.9
1923年9月1日、関東大震災時になぜ、日本の民衆は朝鮮人を虐殺したのか。新史料から社会的背景、歴史的事実を明らかにし、虐殺の国家責任と民衆責任を問う。
Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。
『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後:虐殺の国家責任と民衆責任』 山田昭次 著(創史社、2011年9月) 詳細な要約
この本は、1923年9月1日に発生した関東大震災直後、日本国内で起きた朝鮮人に対する大規模な虐殺事件を、歴史的事実と新史料に基づいて徹底的に検証した著作である。著者の山田昭次氏は、立教大学名誉教授として長年、関東大震災時の朝鮮人迫害史料の収集・研究に携わり、本書では単なる事件の記述にとどまらず、その社会的・政治的背景を解明し、日本国家の責任と民衆の責任を鋭く問う。総ページ数は約293ページで、新聞記事、官公庁文書、裁判記録などの一次史料を多用し、従来の研究を踏まえつつ、新たな視点(例:国家の流言拡散メカニズムや民衆の加害心理)を加えている。本書の核心は、「なぜ震災という未曾有の災禍の中で、日本人が朝鮮人を標的にしたのか」という問いであり、植民地支配下の差別構造、愛国主義の教育、行政の関与が絡み合った「国家主導の民衆動員」を明らかにする。以下では、目次に基づき、各章を詳細に要約する。なお、要約は史料に基づく事実記述を中心にし、著者の分析を織り交ぜる。はじめに ― 関東大震災時に虐殺された朝鮮人やその遺族たちの悲しみと苦渋本書の導入部では、虐殺被害者の視点から事件の惨状を描写し、読者の感情移入を促す。震災発生直後、首都圏を中心に広がった流言(「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「武器を持って暴動を起こしている」)が引き金となり、数千人の朝鮮人(推定死者2,000~6,000人)が殺害された。著者は、生存者の証言や遺族の手記を引用し、例えば東京・本所地域での集団検問(発音テスト「ガキグゲゴ」で朝鮮人を識別し、即時殺害)や、埼玉・千葉での自警団による追跡・虐殺の様子を克明に描く。これらの史料は、朝鮮人労働者が低賃金・危険作業に従事する差別的労働環境(賃金格差2~3割)が、日常的な敵視を蓄積させていたことを示す。著者はここで、事件を「単なるパニック」ではなく、国家の植民地政策と結びついた「組織的迫害」として位置づけ、本書のテーマである「国家責任と民衆責任」の問いを提示。被害者の「なぜ私たちは殺されなければならなかったのか」という叫びを、現代日本への警鐘として強調する。 第1章 在日朝鮮人運動の発展と日本人社会主義者との連帯志向に対する警視庁の弾圧この章は、虐殺の遠因を探るために、在日朝鮮人の社会的運動史を概観する。1910年代以降、日本統治下の朝鮮から渡日した労働者(主に鉱山・建設業)が急増し、1918年の米騒動や1920年の朝鮮人ストライキ運動を通じて、日本人社会主義者(大杉栄ら無政府主義者)と連帯を強めた。著者は、新史料として警視庁の内部文書を挙げ、こうした連帯が「赤化」脅威として国家に警戒された経緯を詳述。例えば、1923年夏の在日朝鮮人総連合会(総聯)の結成が、警視庁の監視を激化させ、震災前の「不逞鮮人」言説を形成したと分析。日露戦争後の国家主義教育(皇民化政策)が、朝鮮人を「潜在的反逆者」とステレオタイプ化し、警視庁の弾圧(逮捕・尾行)を正当化した。章末では、この弾圧が震災時の流言を加速させたメカニズムを指摘:警察の日常的な差別意識が、震災混乱の中で「予防拘束」として朝鮮人を標的にした。著者は、社会主義者の連帯が国家の「分断統治」を崩す可能性を秘めていた点を強調し、虐殺を「階級・民族抑圧の複合」として位置づける。 第2章 関東大震災時朝鮮人虐殺事件と日本国家本書の核心章の一つで、国家の直接的・間接的関与を史料で証明する。震災当日、内務省警保局が全国に「不逞鮮人が放火・暴動を起こしている」との通達を発し、警視庁も各署にメガホンで流言を拡散。これにより、警察官が自警団を扇動し、虐殺を「公認」した事例を挙げる。新史料として、戒厳司令部詳報(軍の内部記録)を引用:20件以上の兵器使用事件で、朝鮮人や誤認された日本人が殺害され、軍の関与が明らかになる。例えば、横須賀海軍工廠での朝鮮人集団銃殺や、千葉県での憲兵隊による移送中虐殺。司法省の事後報告書では、朝鮮人犯罪として挙げられた事件の多くが「被疑不詳」または窃盗のみで、組織的暴動の証拠はゼロだった。著者は、国家の責任を三層に分けて分析:(1) 流言の公式化(行政の差別バイアス)、(2) 自警団の母体(在郷軍人会・青年団)の国家統制、(3) 遺体処理の隠蔽(警察による無許可埋葬・焼却)。内閣府の「1923関東大震災報告書第2編」も引用し、虐殺死者が震災全体の1~数%を占め、国家の混乱管理失敗を批判。章の結論として、「国家は民衆を『道具』として動員した」と断じる。 第3章 関東大震災時の朝鮮人虐殺をめぐる日本人の民衆と社会主義者民衆の加害責任に焦点を当て、国家の影響下での「集団心理」を解剖する。自警団(主に貧困層の失業者・在郷軍人)は、愛国教育の影響で「皇国臣民」意識が強く、裁判証言で「お上の命令で朝鮮人を排除した」と陳述。著者は、新聞報道史料から、流言の伝播経路を追跡:避難民の移動で検問所が増え、発音テストによる即時処刑が横行(例:東京・浅草での数百人殺害)。しかし、阻止事例も紹介:工場主が朝鮮人労働者を匿ったケースや、警察署長が自警団を制止した事例。これらは、日常的な人的交流が偏見を緩和した証左。社会主義者(大杉栄・伊藤野枝ら)の役割も重要で、彼らは虐殺直後に抗議ビラを配布したが、甘粕正彦特高の逮捕・殺害(大杉事件)で弾圧された。著者は、民衆責任を「個人の暴走」ではなく、「国家教育による集団的無責任」として分析:誰が殺したか不明な「匿名殺人」が多数で、逮捕者は「地域代表」として選ばれた。根底に、1919年三・一独立運動へのトラウマと経済競争(朝鮮人の低賃金)が横たわると指摘。 第4章 戦前における在日朝鮮人や日本人の朝鮮人犠牲者追悼・抗議運動と日本国家事件後の追悼運動を検証し、国家の抑圧継続を明らかにする。1920年代後半、在日朝鮮人団体や日本人左翼が慰霊碑建立や抗議集会を試みたが、警視庁の監視・解散命令で阻まれた。新史料として、朝鮮総督府文書を挙げ、戦前の国家が「事件を忘却」させる政策(教科書での矮小化)を追う。例えば、1930年代の追悼式典が「反日活動」として禁止された事例。著者は、日本人参加者の証言(例:山谷の労働者による共同追悼)を紹介し、連帯の萌芽を示すが、国家の治安維持法がこれを封殺したと批判。章末では、戦前の「沈黙の構造」が、現代の歴史認識に繋がる問題を予告。 第5章 今日における関東大震災時朝鮮人虐殺の国家責任と民衆責任現代への示唆をまとめた結論章。著者は、戦後教育での事件無視(副読本の自警団中心記述)を批判し、国家責任の未清算を指摘:例として、2003年の内閣府調査報告書が行政の流言拡散を認めつつ、謝罪に至らない点を挙げる。民衆責任については、「誰もが加害者になり得る」として、ヘイトスピーチの現代性を警告。新史料の公開(著者自身の史料集)を基に、遺族の補償要求や教育改革を提言。最終的に、「歴史の反省なくして平和なし」と締めくくり、日韓関係の改善を訴える。 全体の評価と意義本書は、史料の豊富さと分析の深さで高く評価される一方、事件の残虐描写が読者の精神的負担となる可能性がある。従来研究(例:朝大史料集)を継承しつつ、国家の「積極的加担」を新たに強調した点が画期的。現代の多文化共生を考える上で必読書であり、虐殺を「過去の過ち」ではなく「構造的差別の産物」として位置づける著者の視座は、今日の排外主義批判に直結する。