『被災当事者の思想と環境倫理学』
福島原発苛酷事故の経験から
山本剛史/編・著 言叢社 2024.3
福島第一原発事故の被災当事者たちの「いのちを支え合う」活動の証言を収録。その証言の根底に流れる思想と交差させながら、科学的合理性と社会的合理性の葛藤から、新たに生まれ出る環境倫理学のあり方を考察する。
『〈証言と考察〉 被災当事者の思想と環境倫理学 福島原発苛酷事故の経験から』 徹底的な詳細要約
書籍概要と背景『〈証言と考察〉 被災当事者の思想と環境倫理学 福島原発苛酷事故の経験から』(山本剛史 編・著、言叢社、2024年4月10日発行)は、2011年の東日本大震災・福島第一原子力発電所事故(以下、福島原発事故)から13年を経た2024年に上梓した環境倫理学の専門書である。ページ数は520ページ(A5判並装)、定価は3,700円(税込、ISBN: 978-4-86209-090-4)。本書は、事故の記憶風化に抗う被災当事者の「いのちを支え合う」活動証言を基盤に、科学的合理性(例: 国際放射線防護委員会=ICRPの基準)と社会的合理性(被災者の生活実感)の葛藤を深掘りし、新たな環境倫理学の枠組みを構築する試みである。福島原発事故を「人間の日常生活が自らを滅亡させる科学技術に依存する」象徴として位置づけ、ウルリヒ・ベックの「リスク社会論」やハンス・ヨナスの「未来倫理」を参照しながら、倫理の主体を「市井の被災当事者」に移す視点を提案。科学研究費助成金(基盤研究C「環境倫理学と民衆に根差す思想の応答」)を背景に、コロナ禍での延長を経て難産的に完成した。出版の意義は、事故収束未了の現状(例: 汚染水処理、デブリ除去)で、倫理学を「被災者の肚の底からの想い」に根差すものへ再定義し、後世への継承を促す点にある。宗教学者・島薗進氏の推薦文では、「人類が新たに形づくろうとしている環境倫理の輪郭を描く試み」と評され、現代のリスク社会で欠かせない行動規範を考える一冊として位置づけられる。本書は、単なる証言集ではなく、第一部の生々しい語りと第二部の理論考察の「相互往復」を特徴とする。巻頭に石丸小四郎氏(フクシマ原発労働者相談センター代表)のフルカラー講演スライドを収録し、視覚的に事故の現実を伝える。出版後、2024年12月12日に立教大学で公開合評会が開催され、事故の多角的評価として注目を集めた。著者・編者紹介:山本剛史の経歴と研究姿勢著者・編著者の山本剛史(1972年生まれ)は、倫理学者・哲学者で、現在慶應義塾大学教職課程センターほか非常勤講師を務める。専門は環境倫理学と科学技術論。福島原発事故以前から、人間と科学技術の関係を倫理学的観点で研究(例: 技術の社会的影響論)。事故発生後、被災地(福島県浪江町、いわき市、双葉町など)でのフィールドワークを重ね、被災当事者の声に着目。過去の著作に『〈全村避難〉を生きる』(言叢社、2019年)や共編著『フクシマ―放射能汚染に如何に対処して生きるか』(言叢社、2013年)があり、本書は初の筆頭著者作として、10年以上の蓄積を結実させた。研究姿勢は、ミシェル・フーコーの「パレーシア」(真理を語る勇気ある発言)を援用し、権力(行政・企業・専門家)のリスク定義に抗う被災者の「抑圧された言葉」を重視。ブログ「ことばのくさむら」での寄稿からも、個人的な「私の証言は私だけの証言にあらず」という信念がうかがえ、倫理学を「臨床的・実践的」なものへ転換する。聞き手として熊坂元大(徳島大学准教授)、小松原織香(東北大学准教授)、吉永明弘(法政大学教授)が参加し、多角的対話を促進した。章ごとの詳細要約本書の構造は、第一部(証言:約200ページ、被災当事者の活動記録)と第二部(考察:約300ページ、倫理学的分析)の二部構成。証言は原文に近い形で収録し、事故の立地差(原発労働者、市民測定室、牧場主、自治体首長)を反映した多声性を保つ。第二部は第一部の思想を理論化し、ICRP文書や「吉田調書」などの行政資料を批判的に検討。以下に、各章の詳細を出版社記述、ブログレビュー、合評会情報から統合して要約。巻頭フルカラー口絵:石丸小四郎 講演スライド原発労働者の過酷な労働環境を視覚化したスライド(約20点)。事故後の被曝作業、デブリ処理の危険性、汚染水漏洩の現場写真を交え、労働者の「沈黙の文化」を象徴。石丸氏の講演(2019年頃)は、8年後の福島を「過去・現在・未来」の軸で語り、倫理的ジレンマ(安全基準の曖昧さ)を強調。第一部 証言:被災当事者の「いのちを支え合う」活動事故の風化に抗う4つの事例をインタビュー形式で収録。目的は、被災者の「肚の底からの想い」を直接伝え、リスク社会の権力構造(専門家の言葉による抑圧)に対抗。各章は、活動の起源・課題・未来志向を軸に展開。
- 1章 フクシマ原発労働者相談センター 石丸小四郎 「苛酷事故にみまわれた――あれから八年、福島の過去・現在・未来」+〈追補〉二〇一九年以降の福島第一原発の問題―汚染水とその処理を巡って
石丸小四郎氏(元郵便局員、労組活動家)の証言。1960年代の労組経験から原発反対へ転じ、事故後相談センターを設立。内容:事故直後の労働者被曝(白蝋病類似の健康被害)、東電の利益相反(会食・情報隠蔽)、2019年以降の汚染水処理(ALPS処理水の海洋放出問題)。キーワード:「原発の言葉は元より信ぜねば三代に亘り戻る日なけむ」(佐藤祐禎の短歌引用)。ブログレビューでは、石丸氏の「イデオロギー非依存の怒り」が、リスク定義の独占に抗うパレーシアとして評価。追補は2023年までの更新で、海洋生態系の倫理的影響を指摘。 - 2章 いわき放射能市民測定室たらちね 「広がり続ける被ばくへの対処――内部被ばく・食物汚染の測定からはじまった市民活動」
たらちねメンバー(藤田操氏ら)の証言。事故後、市民測定室を設立し、低検出下限値(2-7Bq/kg)で食品・尿中放射能を測定。内容:内部被曝の無視(プルトニウムα線、ストロンチウム90の骨蓄積)、国基準(セシウム100Bq/kg)の不十分さ、家族内不信の心理的影響。藤田氏のエピソード:尿中セシウムが事故前7-8倍残存し、微量汚染の長期性を示す。レビューでは、国の「低線量安全」神話が被災者の体感を無視する「東大話法」(安富歩)を批判。活動の未来:次世代教育への継承。 - 3章 「希望の牧場・ふくしま」吉澤正巳 「希望とは何か 実力とは何か──原発を乗り越えて生きるために」
吉澤正巳氏(浪江町の開業医、牧場主)の証言。事故で全頭殺処分された牛のケアを続け、「希望の牧場」を運営。内容:甲状腺がん問題の公言抑圧、戦争体験(父親のシベリア抑留、岸信介ルーツ)の反省から生まれる「実力」(家族史に基づく抵抗)。140頁の引用:「希望とは、原発を乗り越えて生きる力」。ブログでは、吉澤氏の家系的倫理が、ヨナスの「未来倫理」と響き合うと分析。課題:放射能汚染牛の倫理的扱いと地域再生。 - 4章 井戸川克隆・セルフインタビュー 「立地自治体は福島第一原発事故の教訓を生かせ!」
井戸川克隆氏(元双葉町長)のセルフインタビュー。事故時の避難混乱(SPEEDI試算値1000mSv超の隠蔽、実測4613μSv/h)を告白。内容:一族の家史(困難耐えの伝統)と町長としての慚愧、立地自治体の責任転嫁批判。168-169頁のエピソード:被災者が「騙された」実感と、教訓の未活用(再稼働推進)。レビューでは、井戸川氏の「二重の敗北感」(自然災害+行政失策)が、倫理の主体性を象徴。
- 1章 あらためて問う、環境倫理学は誰のためのものか
環境倫理学の伝統(人間中心 vs. 生態中心)を批判し、福島事故を「リスク社会」の典型として位置づけ。ベックの理論を援用:原子力は「第二の自然」を生み、専門家の言葉(枝野氏の「爆発的事象」呼称)が被災者を抑圧。目的:倫理を「市井の知」に根差すものへ転換。証言との交差:石丸・吉澤らの「抑圧された言葉」が、倫理の基盤。 - 2章 原発事故被災状況下におけるICRPの生命・環境倫理
ICRPの「最適化」原則(被曝低減の経済・社会的要因考慮)を分析。福島適用での問題:20mSv/年基準が帰還を強いる「欺瞞言語」。吉田調書や行政文書の倫理的欠陥(利益相反)を指摘。証言リンク:たらちねの測定データが、ICRPの科学的合理性を社会的実感で覆す。 - 3章 ICRP「最適化」原則にかわる新しい環境倫理学の視座
ICRPの限界を超える視座を提案:被災者の行動(いのち支え合い)を規範化。ベックのリスク社会論を基に、内部被曝の長期リスク(生体濃縮)を強調。証言例:井戸川氏の隠蔽告白が、倫理の「臨床性」を示す。新視座:パレーシア的証言が、企業・行政の専横を越える。 - 4章 ハンス・ヨナスの「未来倫理」
ヨナスの「技術の力に比例する責任」を福島に適用:未来世代への放射能遺産を倫理的義務とする。証言との統合:吉澤氏の「三代に亘る」視点が、ヨナスの予見的倫理を体現。結論:環境倫理の主体は被災当事者で、リスク社会の行動規範は「いのちの営み」に根差す。