『能登半島記<未完>』被災記者が記録した300日の肉声と景色
前口憲幸/著 時事通信出版局 2025.1
取材者であり被災者でもある能登在住の新聞記者が、能登半島地震発生直後から今もなお毎日執筆・発信し続けている現地レポートと写真をまとめる。『北陸中日新聞』能登版等の連載に書き下ろしを加えて単行本化。
Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問したところ、以下のような回答が返ってきました。
『能登半島記<未完>』徹底詳細要約書籍概要と背景『能登半島記<未完> 被災記者が記録した300日の肉声と景色』は、2024年1月1日午後4時10分に発生した能登半島地震(マグニチュード7.6)の被災地から、地元新聞記者である著者・前口憲幸氏が執筆したリアルタイムレポートをまとめた書籍です。出版は時事通信出版局、2025年1月発売(書店発売日は2024年12月18日)、A5判224ページ、定価2,200円(税込)。ISBN: 978-4-7887-1998-9。印税の一部は能登半島地震災害義援金に寄付され、印刷は被災地の能登の印刷所で行われています。本書は、震災発生から約300日(2024年1月5日から10月31日まで)の日々を、日記形式の掌編コラムとして記録したものです。これらのコラムは、北陸中日新聞の朝刊「能登版」に1日も欠かさず掲載され、東京新聞の朝刊「特報欄」でも再掲されました。さらに、新たな書き下ろしを加えて一冊にまとめられています。タイトルに「<未完>」とあるのは、災害関連死が次々と追加され、行方不明者の捜索や200人以上の審査が未完了である現状を反映し、「大災害は終わっていない」という強いメッセージを込めています。著者は取材者としてだけでなく、被災者としても現地に拠点を置き、停電・断水・通信障害などの過酷な環境下でペンを握り続けました。この記録は、単なる災害報道ではなく、被災者の「肉声」(生の声)と「景色」(風景)を切り取り、遠く離れた人々に「忘却の恐怖」を伝えることを目的としています。著者紹介:前口憲幸氏の立場と動機著者の前口憲幸氏は、北陸中日新聞七尾支局長で、能登在住の新聞記者です。震災発生時、七尾支局のすぐそばに避難所が開設され、自身も断水生活を1~2ヶ月経験しながら取材を続けました。被災者としての苦痛(水不足による不衛生、道の寸断)と、記者としての使命感が交錯する中で、コラムを執筆。震災から1ヶ月目の節目に、新聞に「能登半島という大きな船を降りません」「能登のために、本気で泣ける記者が乗っているのです」とのメッセージを掲載し、この決意を今も貫いています。インタビューで前口氏は、執筆の動機をこう語っています。「あまりに大きな大災害で、筆を取り始めたのはこの現状を、壊れてしまった能登の現状を伝えたいと、知っていただきたいという、すがるような思いでスタートしました。いつも見ている景色が見れない、いつも通っている道が通れないということの現実を突きつけられて、地元にメディアを置く新聞社の一人として何としても伝えたい、というのが正直なところでした。」 また、被災者の優しさに触れ、「能登の方々は昔から『能登はやさしや土までも』と言い伝えられている通り、皆さんそんな状況でも励ましあって、記者を気にかけてくれるような場面もあってこちらが逆に励まされながらという場面にも出くわしながらの取材でした」と、取材の支えとなったエピソードを共有。復興の遅れに対し、「現場を知れば知るほど、今は『復興』という言葉を気安く使えません。けれど、必ず夜は明ける。そう信じます」と、控えめながら希望を込めた姿勢を示しています。全体構成とテーマ本書に明確な章立てはありませんが、時系列で300日間の出来事を掌編コラムとして展開します。各コラムは短く、1日1話の形式で、被災地の「瞬間」を切り取っています。主なテーマは以下の通りです:
- 被災直後の混乱と日常の喪失:地震発生直後(1月1日~数週間)の停電、断水、道路寸断、がれき撤去の描写。平地が少ない急峻な半島の地形が復興を阻害し、熊本地震(2016年)や東日本大震災(2011年)よりも難航している実態を指摘。被災者の「なんとんない」(大丈夫、何ともない)という控えめな精神が、過酷な状況で試される様子を描きます。
- 多重被災の残酷さ:地震から8ヶ月後の2024年9月下旬、記録的な豪雨(「百年に一度」の規模)が襲い、河川氾濫、土砂崩れ、集落孤立を引き起こす「二重被災」を詳細に記録。仮設住宅の建設が進みかけた矢先、水没した悲劇を「誰を恨むでもなく、天を恨みます」と表現。行政のハザードマップ問題や、地形の複雑さによる制約も触れ、「傷口に塩をもみ込まれた多重被災の地。誤解を恐れず、オブラートに包まず、言います。能登の危機だと感じています」と警鐘を鳴らします。
- 被災者の肉声と心理:避難所での高齢者の「すがるような目」や、母親が毛布を座布団に幼児を寝かしつける姿など、具体的なエピソードを通じて、喪失感と孤独を描きます。元日が「お祝いの日ではなく、追悼の日」となった心理(「もう正月こんといてほしい。よくある元日のああいう感じとか思い出したくない」)や、ポリタンクで給水車に並ぶ日常の切実さを強調。現在も6地区で断水が続き、「水がないというのは本当に不便で、お風呂に入らず顔も洗わずで現場に記者を送り出して…本当に切なくて」との著者の体験談が交えられます。
- 復興の課題と希望の兆し:がれき撤去の遅れ、通信障害の長期化、孤立集落の支援不足を批判的に分析。一方で、被災者同士の支え合いや、著者の「夜明けを信じる」メッセージが散りばめられます。書籍の終わり近くでは、300日を振り返り、「能登で暮らし、誰かと会い、うんうんとうなずき、共感し、怒り、泣き、一緒に数えてきた300日。このコラムは、すぐ目の前の、その瞬間を切り取った記録です」と、被災者としてのリアルを強調。
- 発生直後(1月): 「2024年1月1日午後4時10分。能登半島地震です。あの日から、300日を数えます。」 著者は被災者として「いつも見ている景色が見れない」喪失感を綴り、避難所の混沌を描写。七尾支局近くの避難所で、高齢者が「この現状を伝えてくれ」と新聞に訴える姿が印象的。
- 断水・水不足の日常(1~3月): 著者自身が1~2ヶ月断水を経験。「ポリタンクを持って給水車の前に並ぶ人たち」の姿を記録。現在も続く6地区の断水を、「もう水がないというのは本当に不便で…顔も洗わずで現場を歩く」と生々しく描く。
- 復旧の兆しと挫折(春~夏): がれき撤去の進捗を追いながら、地形のネック(急峻な半島)を指摘。「停電、断水、通信障害、道路寸断…どの項目をみても、熊本地震よりも、東日本大震災よりも、難航している感が否めません。」 被災者の「なんとんない」精神が、徐々に疲弊していく過程を追う。
- 豪雨被害(9月21日): 最大のクライマックス。「千年に一度」の地震から8ヶ月後、「百年に一度」の豪雨が襲う。仮設住宅が水没し、「もう体育館の床で寝なくていいわ」と喜んだ高齢者が、再び絶望に。「これほど残酷なことはないんじゃないかなと。二重三重の苦難をあの与えられているというようなそういったような現状が今なお続いている状況です。」 土砂崩れで集落が孤立、命をのみ込む惨状を「天を恨みます」と吐露。
- 300日目の振り返り(10月): 「秋空がきれいな日。夫と2人で暮らす70代の知人女性が、道路の向こうのススキを眺めながら、『もう正月こんといてほしい』と打ち明けました。」 元日が永遠の追悼日となった心理を象徴。著者は「この先ずっと、能登の人たちは元日を迎えるたび、黙とうをささげます。お祝いの日ではなく、追悼の日なのです」と締めくくり、読者に「忘れないで」と訴えます。