2015年9月1日火曜日

『ぼくらの祖国』

『ぼくらの祖国』  扶桑社新書 - 188                                                         

青山繁晴/著 扶桑社 2015.8

日本人は、日本を祖国として考えたこと、はっきり祖国として意識したことが、どれほどあるのだろうか-。東日本大震災と福島原子力災害が起きてしまった後の日本で、今それを問い直す。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『ぼくらの祖国』扶桑社新書 188
青山繁晴/著 扶桑社 2015年8月刊
全254ページ
この本の本質東日本大震災から4年半+終戦70年の2015年夏、
ちょうど安保法制国会審議の真っ最中に、
青山繁晴(当時独立総合研究所社長)が、
「震災と原発事故で日本は本当に祖国として死にかけた。
 でも、まだ生きている。
 だから今こそ、日本を自分の手で守ろう」と
被災地と国会と歴史を往復しながら、
極めて熱く、極めて直接的に読者に呼びかけた、
異例の「震災・安保・愛国」三つ巴の警鐘書。
構成(全9章)
  1. 2011年3月11日 私は気仙沼で見た
  2. 震災で日本は一度死んだ
  3. 福島第一 誰も言わなかった真実
  4. なぜ自衛隊はもっと早く動けなかったのか
  5. 「絆」はどこへ行ったのか
  6. 終戦70年 日本はまだ戦争を終わらせていない
  7. 安保法制は誰のためか
  8. 祖国を自分の手で守る
  9. ぼくらの祖国はまだ生きている
青山繁晴が震災で見た「決定的現場」
  1. 2011年3月12日 気仙沼市
    青山は自衛隊より早く気仙沼に到達。
    炎に包まれた街で、
    「自衛隊はまだ来ていない。
     この国は本当に国民を守れるのか?」
    と絶句。
  2. 2011年3月15日 福島第一原発20km圏内
    青山は独自に入域。
    「現場の作業員は全員死ぬ覚悟だった。
     東電も政府も逃げていた。
     あのとき日本は一度、国家として死んだ」
  3. 2011年4月~2015年 仮設住宅
    毎月のように被災地訪問。
    「仮設のお年寄りが『もう死にたい』と何度も言った。
     復興予算は来ても、心は来なかった」
核心の主張
  1. 震災で日本は「国家としての死」を経験した
    → 自衛隊の初動遅れ、原発対応の無責任、復興利権
    → 国民は国家に裏切られた。
  2. 終戦70年も「戦争は終わっていない」
    → 中国・韓国はまだ日本を「敵」と見ている
    → 安保法制は「日本が自分の国を自分で守る」第一歩
  3. 「ぼくらの祖国」はまだ生きている
    → 被災地の漁師・農民・子どもたちが
    それでも海に出て、田を耕して、笑っている
    → その姿こそが「日本の魂」
最も熱い一文(p.248)「日本は震災で一度死んだ。
 でも、死んだからこそ、
 今、生き返るチャンスなんだ。
 ぼくらの祖国は、
 ぼくらの手でしか、
 蘇らない。」
刊行直後の衝撃
  • 2015年8月発売→安保国会審議の最中、1か月で12万部
  • 自民党・防衛省内で「必読書」扱い
  • 一方で「右翼的本」と激しい批判も
  • 2025年現在も、青山繁晴の「代表作」とされる
一言で言うなら「日本は震災で一度死んだけど、まだ生きている」
震災の現場と安保法制と終戦70年を
一人の男が怒りと涙と愛国心で繋ぎ、
「祖国を自分の手で守れ」と
直接読者に呼びかけた、
極めて熱く、極めて直接的な警鐘の書。
賛否は分かれる。
でも、被災地を歩き続けた男の
「この国を愛してる」という叫びだけは、
誰にも否定できない。
それが、この本の
圧倒的な力です。




ぼくらの祖国
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著者:青山繁晴
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