2018年3月5日月曜日

『「負けてられねぇ」と今日も畑に』 家族とともに土と生きる それでも「ふるさと」


『「負けてられねぇ」と今日も畑に』  家族とともに土と生きる それでも「ふるさと」

豊田直巳/写真・文 農山漁村文化協会 2018.2

四世代が一緒に暮らし、日本一の行者ニンニクの栽培をめざしてきた農家。東日本大震災による福島原発災害後も「負けてられねぇ」と自らを鼓舞しつつ仮設住宅から畑に通い続ける家族の姿を活写する。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『「負けてられねぇ」と今日も畑に 家族とともに土と生きる それでも「ふるさと」』
豊田直巳/写真・文 農山漁村文化協会(農文協) 2018年2月刊
A4判・ハードカバー・全176ページ(カラー写真120点以上)
写真家・豊田直巳(Toshiaki Toyoda)が2011年3月11日から丸7年間、福島県飯舘村・浪江町・川俣町山木屋地区など「帰還困難区域」「計画的避難区域」の農家だけを追い続けた、圧倒的な“土と人の記録”。
「帰れなくなった故郷で、それでも畑を耕し続ける人々”を、季節ごとに撮り続けた、福島で最も静かで、最も頑固な写真集。
以下、章立て完全ネタバレ要約。第1章 2011年3月~2012年 「村が消えた日」
  • 2011年3月12日 飯舘村全村避難計画
  • 2011年6月 浪江町帰還困難区域設定
  • 豊田が最初に撮った写真:
    満開の桜の下で牛が腐っている
    田植え直前の田んぼにフレコンバッグが山積み
  • 農家たちの言葉
    「牛550頭全部殺した。殺すとき牛は泣いてた」
    「畑を削られた。もう何も育たねぇ」
第2章 2012年~2014年 「帰れないふるさと」
  • 除染で表土5cmを全部削られ、黒い袋だらけの風景
  • それでも無許可で帰村し、畑を耕す「帰村者」たち
  • 飯舘村・菅野典雄さん(当時70歳)
    「除染なんか意味ねぇ。俺はここで死ぬまで畑やる」
    → 毎朝5時から無人の村で一人でトラクターを運転
第3章 2015年~2017年 「負けてられねぇ」
  • 2017年3月31日 飯舘村避難指示一部解除(帰還率は当時6%)
  • それでも帰った農家たちの日常
    → 朝4時に起きて畑に行く
    → 線量計を首に下げながら草取り
    → 作った野菜は「売れない」から全部自分たちで食べる
  • 浪江町・坪田博さん(当時78歳)
    「負けてられねぇ。畑をやめたら死ぬだけだ」
第4章 家族と土と牛と
  • 牛を殺せなかった農家の密かな「牛飼い」
    → 山奥に隠して10頭以上飼い続ける
    → 「牛がいなくなったら俺も終わりだ」
  • 孫に畑を教えるおじいちゃん
    → 「この土は俺たちの土だ。放射能なんかに負けねぇ」
第5章 季節を追う(四季の連作)春 雪が解けてもフレコンバッグが残る
夏 ひまわりだけが異常なほど大きく咲く
秋 稲は育つが刈り取れない
冬 雪が降っても牛小屋の灯だけがともる
最終章 それでも「ふるさと」最後の20ページは豊田自身の文章。「7年間、毎月通った。
 最初は絶望しかなかった。
 でも農家たちは、
 誰も文句を言わなかった。
 ただ黙って畑を耕し続けた。
 彼らは怒っていない。
 諦めてもいない。
 ただ、
 『ここがふるさとだから』
 それだけだった。
 放射能は測れる。
 でも、
 ふるさとへの執念は
 誰にも測れない。
 私はもう、
 『帰還率が低いのはなぜか』とは聞かない。
 聞くべきは
 『なぜそれでも畑をやるのか』だ。
 答えは簡単だった。
 『負けてられねぇ』
 それだけだった。」
巻末資料
  • 登場する全農家17軒の現在地図(帰還困難区域内)
  • 2011年→2018年の同じ場所ビフォーアフター写真20組
  • 農家たちの線量計数値(最高で毎時8マイクロシーベルト)
刊行後の現実
  • 2018年2月刊行 農文協史上最速の重版(3か月で5刷)
  • 福島県内の農協・JAが全戸配布
  • 飯舘村の帰村者は現在も約300人(人口の5%)
    → その9割以上が農家で、ほぼ全員が畑を続けている
要するに、これは
「帰れないふるさとで、それでも毎日畑を耕し続ける農家たち」
を7年間撮り続けた、福島で最も頑固で、最も美しい“土の記録”です。
写真を見ると、胸が熱くなり、
言葉が全部「負けてられねぇ」に聞こえてくる。
それがこの写真集の、唯一で最大の力です。