2014年5月8日木曜日

『新聞は大震災を正しく伝えたか』



『新聞は大震災を正しく伝えたか』 
学生たちの紙面分析 早稲田大学ブックレット

花田達朗/編著 早稲田大学出版部 2012.5

若者たちは大震災をどのように受け止めたか。新聞報道を事例にして大震災の帰結を自らの手と眼で確認しつつ、議論した結果をまとめる。早稲田大学教育学部の学生による「東日本大震災新聞紙面調査プロジェクト」の成果を収録。

先日、早稲田大学エクステンションセンターで、早稲田大学ブックレットのチラシをいただいてきました。今日は、そのチラシの中の一冊。

「新聞は大震災を正しく伝えたか-学生たちの紙面分析」 

早稲田大学教育-総合科学学術院教授」花田達郎+教育学部 花田ゼミ 編著 を読んでみました。

今までと同じゼミナールでいいいのか。学生たちと教師は大災害の衝撃にまっすぐ向き合おうと教授研究室を工房とし、新聞紙面に目を凝らし被災地の声に耳を傾け、報道の実像を迫った。NKK総合(3/24,朝日新聞朝刊(5/18)ほかで話題。
第一部    実証的視点 全国紙が見た震災・地方紙が見た震災-記事面積分析は何を教えるか/震災報道の「顔」-『河北新報』の情報源を検証する/津波被災は持続的に報道されたか-阪神淡路大震災との比較から
第二部    批判的視点 新聞はなぜ「大本営発表」と批判されるのか/プルトニウム報道に見る在京紙と地方紙-猛毒物質から福島県民を守るのはだれか/写真分析から見えた新聞記者の葛藤-報道の責任か、身の安全か/新聞が伝える「死」-「死」と向き合い、考える。
第三部    4つの場所から考える 石巻市立大川小学校-検証記事をどう活かすか/南三陸防災対策庁舎-報道対象の一極集中はなかったか/長野県栄村-もうひとつの被災地と地域の営みからの報道/牡鹿半島・十八成浜-「『がんばれ』は思考停止の言葉」ほか

以上 チラシの紹介文です。

この本の中では、主に朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、河北新報が東日本大震災後、紙面をどのように割いて、津波・原発報道をしてきたかを細かく調べています。

 在京の3大紙が紙面を割いて震災について報じていることを検証しています。

本の中で、NHKの信頼度が増したとありました。

ネットメディアにシフトしてもNHKの信頼度は上昇しているようです。

また、ゼミの先生が、ゼミで学ぶことは、マスコミではなくジャーナリズムだとはっきり言っているところに物凄い感銘を受けました。

ゼミの学生の方がほとんど地方出身というのは正直、驚きました。

僕が1980年後半に学生だった頃は、首都圏の学生もジャーナリズム(マスコミ)を志す人が多かったです。

ネットにメディアがシフトしていく中で、ジャーナリズムのあり方とか問われているのかと思います。

昔は図書館で縮刷版を一冊一冊調べていたのが、今では新聞データベースで簡単に分析できる。

僕も、新聞記事のデータベース化には賛成ですが、一冊一冊丁寧に調べていく工程も経験してほしいなと単純に思いました。


お粗末な感想ですが本を読んでの感想を書いてみました。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問したところ以下のような回答が返ってきました。

『新聞は大震災を正しく伝えたか ―学生たちの紙面分析』(花田達朗+早稲田大学教育学部花田ゼミ編著、早稲田大学出版部、2012年5月10日刊、早稲田大学ブックレット「震災後」に考える〈第018巻〉、A5判122ページ、本体940円+税、ISBN 978-4-657-12308-4) は、東日本大震災・福島第一原発事故発生から約1年2ヶ月後の2012年春に刊行された、早稲田大学教育学部花田達朗ゼミの学生たちによる実証的・批判的な新聞報道検証書です。全国学校図書館協議会選定図書に選ばれ、電子版も同時刊行されました。編著者の花田達朗氏は早稲田大学教育学部教授(当時、新聞学・ジャーナリズム論を専門)。ゼミ生(教育学部新聞学専攻の学生たち)が共同執筆・編集した点が最大の特徴で、「今までと同じゼミナールでいいのか」という問いから始まったプロジェクトです。教授研究室を「工房」に変え、被災地報道の新聞紙面を徹底的に分析・計量・検証。全国紙 vs 地方紙の違い、情報源の偏り、持続報道の有無、写真の葛藤、特定地域の取り上げ方など、学生の視点で「新聞は大震災を正しく伝えたか」を問う独自の試みです。朝日新聞朝刊(2012年5月18日)やNHKニュース『おはよう日本』(2012年3月24日)でも「大学生が震災報道を検証した書籍」として紹介され、メディア関係者からも「新聞社自身も行っていない計量分析」と注目されました。本書は単なる「報道批判」ではなく、学生たちが被災地の声に耳を傾け、報道の実像を自らの手と眼で追った記録。震災直後の情報混乱期に、新聞が果たした役割(正しく伝えた点・伝えるべきだった点)を多角的に検証し、ジャーナリズムの責任と限界を問いかけます。122ページのコンパクトなブックレットながら、3部構成+あとがきで体系的。計量分析(記事面積など)や具体的事例研究が豊富で、ジャーナリズム教育の好例としても価値が高い一冊です。以下に、目次に基づく徹底的に詳細な要約を部ごとに整理します。各章の小見出しと執筆学生名を挙げ、テーマ・分析手法・主な論点を解説します(学生たちの実名入りで、ゼミの共同作業の成果が鮮明)。第1部 実証的視点新聞報道の「量」と「質」をデータで客観的に検証する導入部。記事面積や情報源の分析を通じて、全国紙・地方紙の報道姿勢の違いを浮き彫りにします。
  • 全国紙が見た震災/地方紙が見た震災―記事面積分析は何を教えるか(柏樹利弘・前原達也)
    全国紙(朝日・読売・毎日など)と地方紙(河北新報など)の紙面を比較し、震災関連記事の面積割合を計量分析。全国紙は「全国的視点」で扱う一方、地方紙は被災地に密着した濃密な報道だったことをデータで示し、両者の補完関係を指摘。「新聞社自身も行っていない」独自の面積分析が本書の目玉です。
  • 震災報道の「顔」―『河北新報』の情報源を検証する(林怡蕿)
    被災地を代表する地方紙『河北新報』の記事を徹底的に精査し、情報源(被災者・行政・専門家など)の偏りを分析。地方紙が「被災者の声」をいかに拾ったか(または拾えなかったか)を検証し、報道の「顔」(信頼性・多様性)を問います。
  • 津波被災は持続的に報道されたか―阪神淡路大震災との比較から(篠原紀彦)
    東日本大震災の津波被害報道を、阪神・淡路大震災と比較。時間経過とともに報道量が減少する「風化」を定量的に明らかにし、持続報道の重要性を提言。歴史的比較が震災報道の課題を浮き彫りにします。
第2部 批判的視点報道の「問題点」を具体的に批判的に検証する中核部。在京紙 vs 地方紙の違いや、記者の葛藤、死の扱いなどを深掘りします。
  • 新聞はなぜ「大本営発表」と批判されるのか(片岡弘太)
    政府・東電発表をそのまま伝える「大本営発表」体質を批判的に分析。情報源の依存や検証不足がもたらした報道の歪みを、具体例で指摘。
  • プルトニウム報道に見る在京紙と地方紙―超猛毒物質から福島県民を守るのはだれか(出澤広介)
    原発事故関連の「プルトニウム」報道を、在京紙と地方紙で比較。猛毒物質の危険性を地方紙(福島県民目線)がより強く伝えた一方、在京紙の扱いが薄かった点を検証し、「誰を守る報道か」を問います。
  • 写真分析から見えた新聞記者の葛藤―報道の責任か、身の安全か(平井紀一)
    被災地取材写真を分析し、記者が直面した「報道責任 vs 自身の安全」のジレンマを読み解く。写真の選択・構図から、ジャーナリストの倫理的葛藤を浮き彫りに。
  • 新聞が伝える「死」―「死」と向き合い、考える(蓮見嵐太)
    新聞が震災犠牲者の「死」をどのように扱ったかを検証。死の尊厳、匿名性、遺族の視点などを考察し、報道が「死」とどう向き合うべきかを問いかけます。
第3部 4つの場所から考える具体的な被災地・事例に焦点を当て、報道の「場所性」と限界を考察する実践編。
  • 石巻市立大川小学校―検証記事をどう活かすか(六田悠一)
    児童・教職員84人が犠牲となった大川小学校の報道を検証。事故検証記事をどう活かし、教訓化すべきかを分析。
  • 南三陸町防災対策庁舎―報道対象の一極集中はなかったか(新田修)
    防災庁舎での犠牲者報道に一極集中した傾向を批判的に検証。他の被災地とのバランスを問う。
  • 長野県栄村―もう1つの被災地と地域の営みからの報道(朴哲宏)
    福島県外の「もう一つの被災地」(長野県栄村)の報道を分析。地域の日常・営みをどう伝えたかを考察。
  • 牡鹿半島・十八成浜―「『がんばれ』は思考停止の言葉」(築比地真理)
    牡鹿半島・十八成浜の被災地報道を事例に、「がんばれ」という言葉がもたらす思考停止や被災者へのプレッシャーを批判。「声なき声」をどう伝えるべきかを提言。
あとがき この本はどのように生まれ、どのように読まれるべきか(花田達朗)花田教授がプロジェクトの経緯を振り返り、学生たちの取り組みの意義を総括。「震災をどのように捉えたか」を読者に問い、ジャーナリズム教育の新たな可能性を示します。全体の意義と特徴
  • 学生主導の独自性:教育学部新聞学ゼミの学生たちが主体的に紙面分析を行い、計量データ(記事面積)や現地取材・比較研究を駆使。新聞社ですら行っていない実証的アプローチが新鮮で、「若者たちが大震災をどう受け止めたか」を生々しく伝えます。
  • シリーズ位置づけ:早稲田大学ブックレット「震災後」に考えるシリーズ第018巻として、松岡俊二氏や村田晶子氏らの他巻と連動。ジャーナリズムの視点から3・11を検証し、報道の責任を問う。
  • 社会への問い:新聞は「正しく伝えたか」ではなく、「正しく伝え切れたか」。全国紙の広域性 vs 地方紙の密着性、情報源の偏り、記者の葛藤、特定地域の一極集中など、震災報道の光と影を多角的に明らかに。被災地の声が十分に届いたか、風化を防げたか、死や原発リスクをどう扱ったかを問い、メディア関係者・学生・一般読者に「報道の在り方」を再考させる力作です。
本書は単なる検証書ではなく、震災直後の学生たちが「新聞学」を実践的に問い直した、熱い記録です。花田ゼミの共同作業がもたらした多様な視点(実証・批判・場所性)が、報道の「正しさ」を立体的に照らします。122ページのコンパクトさゆえに読みやすく、ジャーナリズム研究やメディアリテラシーの入門書としても最適。シリーズ他巻と併せて読むことで、3・11報道の全体像がより深く理解できます。口絵や図版は分析データ中心で、学生たちの「眼」が直接伝わる一冊です。




新聞は大震災を正しく伝えたか
新聞は大震災を正しく伝えたか
著者:花田達朗
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