2015年11月11日水曜日

『三陸の海』

『三陸の海』 講談社文庫         

津村節子/[] 講談社 2015.10

著者が新婚時代に夫・吉村昭と行商の旅をした三陸海岸を大津波が襲った。「三陸海岸大津波」を執筆した夫は東日本大震災を知ることなく亡くなった。震災の翌年、著者は岩手県の田野畑村へ向かう…。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『三陸の海』津村節子/著 講談社文庫 2015年10月刊(単行本は2013年10月)
全415ページ
一言で言うと直木賞作家・津村節子(1928~2022)が83歳で書いた「最後の大作」。
東日本大震災で故郷・岩手県釜石市と実家を完全に失った老女流作家が、
震災後4年間、季節ごとに三陸を歩き続け、
「海は恵みであり、呪いでもある」という三陸人の宿命を、
圧倒的な筆力で描き切った、静かで深い「海の叙事詩」。
物語の構造語り手は「私」=津村節子本人(ほぼ私小説)。
2011年3月11日~2015年春の4年間を、季節ごとに章立てで追う。
核心の描写2011年3月11日
釜石の実家は津波で全壊。
90歳の叔母と80歳の叔父が流され行方不明。
東京の自宅でテレビを見て「私の海が、町を呑んだ」と絶句。
2011年夏
初めて帰郷。
実家があった場所は、ただの瓦礫の山。
「海はいつも私たちを見ていた。
 恵みを与える日も、呑み込む日も、ただじっと見ていた。」
2012年春
釜石の「虎舞」復活。
津波で流された太鼓を、子どもたちが手作りで再現。
老女流作家は「三陸の魂は死なない」と涙する。
2013年冬
巨大防潮堤工事。
10メートルを超えるコンクリートの壁が、海を完全に遮断。
漁師たちが「もう海が見えなくなった」と嘆く。
津村は「海を殺すことで、人は生き延びるのか」と問いかける。
2014年秋
奇跡の一本松(陸前高田)の防腐処理完了。
観光客が記念撮影する中、津村はただ一人、松の根元で座り込む。
「この松は生き残ったのではない。
 殺されても立っていたのだ。」
2015年春 最後の帰郷
防潮堤は完成し、海は完全に姿を消す。
釜石湾は静まり返り、波の音すら聞こえない。
津村は最後にこう書く。
「三陸の海は、もう私たちを見ていない。
 私たちが見ることをやめたからだ。」
最も重い一文(p.398)「海は私たちを呑み込んだのではない。
 私たちが海を捨てたのだ。」
津村節子の覚悟あとがきで津村はこう記す。
「私はもう長くない。
 だからこそ、三陸の海が私たちに何をしてくれたか、
 そして私たちが海に何をしたかを、
 最後に書き残したかった。」
刊行後のこと
  • 2013年単行本刊行時、読売文学賞候補
  • 文庫化に際し、津村が最後に釜石を訪れた記録を追加
  • 2022年津村節子死去後、「遺言のような一冊」と再評価
  • 釜石市内の全図書館・学校に常備
一言で言うなら「海は恵みであり、呪いでもある」
83歳の老女流作家が、震災で故郷を失いながらも、
三陸の海と人との永遠の関係を、
静かに、しかし圧倒的な深さで描いた、
「三陸の海の正史」。
読後、あなたはもう三陸の海を、
「ただの風景」として見られなくなる。
津村節子の全作家人生の集大成であり、
三陸に生きる全ての人に捧げられた、
静かな祈りのような一冊である。


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