『海を撃つ 』 福島・広島・ベラルーシにて
安東量子/[著] みすず書房 2019.2
「原子力災害後の人と土地の回復とは何か」を摑むため様々な活動をしてきた、いわき市の山間に暮らすひとりの女性の幻視的なまなざしがとらえた、福島第一原発事故後7年半の福島に走る亀裂と断層の記録。
『海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』(安東量子著、みすず書房、2019年2月)は、福島第一原発事故後の福島県いわき市に暮らす著者の視点から、原子力災害が地域社会と人々の生活に与えた影響を深く掘り下げたノンフィクション作品です。著者の安東量子は、1976年広島県生まれで、18歳まで広島で育ち、2002年から福島県東白川郡鮫川村、2004年からいわき市に在住。震災後、ボランティア団体「福島のエートス」を設立し、放射線に関する勉強会や対話集会を通じて地域の復興に取り組んできました。本書は、福島だけでなく、広島の原爆やチェルノブイリ事故の経験とも対話しながら、災害後の「人と土地の回復」を模索する著者の思索と行動の記録です。以下、章ごとの詳細な要約を述べます。
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### 目次
1. あの日
2. 広島、福島、チェルノブイリ
3. ジャック・ロシャール、あるいは、国際放射線防護委員会
4. アンヌマリーとアナスタシア
5. 末続、測ること、暮らすこと
6. 語られたこと、語られなかったこと
7. その町、その村、その人
8. ふたたび、末続
9. 海を撃つ
- 参考文献
- あとがきにかえて
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### 詳細な要約
#### 1. あの日
この章では、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故の当日の出来事が、著者の視点から描かれます。福島県いわき市に暮らす著者は、地震と津波の衝撃、そして原発事故による混乱の中で、情報の錯綜や避難指示の曖昧さに直面します。放射能への不安が地域社会に広がり、家族や友人との分断が生じる様子が克明に綴られます。著者は、夫とともに植木屋を営む自営業者として、震災直後の生活の不安定さと、放射能という「見えない脅威」に対する恐怖を描写。地域住民の間に生じた対立や、避難を選択する者と残る者の葛藤が浮き彫りにされます。この章は、災害が個人とコミュニティに与えた即時的かつ深い影響を、著者の個人的体験を通じて示す導入部です。
#### 2. 広島、福島、チェルノブイリ
著者の広島出身という背景が、福島での経験と結びつき、チェルノブイリ事故とも比較される章です。広島で育った著者は、原爆の歴史や被爆者の物語に触れながら育ち、核災害に対する潜在的な意識を持っていました。福島での原発事故後、チェルノブイリの経験に学び、放射能汚染が長期的に地域社会に及ぼす影響を考察します。チェルノブイリでは、事故後30年以上経過してもなお、汚染地域での生活や健康への懸念が続いていることを知り、福島の未来に重ね合わせます。この章では、核災害がもたらす「時間的・空間的」な影響の大きさと、過去・現在・未来をつなぐ著者の視点が強調されます。
#### 3. ジャック・ロシャール、あるいは、国際放射線防護委員会
国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告111号に深く感銘を受けた著者の活動の原点が描かれます。ICRP勧告111号は、原子力災害後の生活環境の回復において、住民の主体的な参加と対話を重視する内容で、著者は特に「我々の思いは、彼らと共にある」という文言に心を動かされます。この言葉は、被災者が忘れられていないというメッセージとして、著者に希望を与えました。ジャック・ロシャール(ICRP委員)の講演資料や思想にも触れ、放射線防護における「科学」と「人間性」のバランスを学びます。著者はこの考え方を基に、「福島のエートス」を設立し、放射線量の測定や勉強会を通じて、住民が自ら情報を得て生活を再構築する支援を始めます。この章は、著者の行動原理と、地域での具体的な活動の背景を説明します。
#### 4. アンヌマリーとアナスタシア
チェルノブイリ事故の影響を受けたベラルーシを訪れた著者が、現地の女性たち(アンヌマリーとアナスタシア)と交流するエピソードが中心です。彼女たちは、汚染された土地で生活を続ける中で、放射能のリスクと向き合いながらも、日常を取り戻す努力を続けています。著者は、彼女たちの暮らしや考え方に、福島の住民の姿を重ね、災害後の「普通の生活」の意味を深く考えます。ベラルーシでの対話を通じて、科学的なリスク管理だけでなく、文化的・精神的な回復の重要性を学びます。この章は、異なる地域の核災害の共通点と、それぞれの地域特有の課題を浮き彫りにし、著者の視野がグローバルに広がる転換点です。
#### 5. 末続、測ること、暮らすこと
福島県いわき市の末続(すえつぐ)地区に焦点を当て、放射線量の測定を通じて住民が自らの生活環境を理解し、取り戻す過程を描きます。末続は、原発から約27kmに位置する地域で、避難指示が出なかったものの、放射能汚染への不安が根強く残りました。著者は、住民たちとともに放射線量を測定し、データを共有することで、不安を軽減し、事実に基づいた意思決定を支援します。この活動は、単なる科学的測定を超え、コミュニティの信頼と連帯を再構築するプロセスでもあります。著者は、測定を通じて「暮らすこと」の意味を問い直し、住民一人ひとりの生活の尊さを実感します。
#### 6. 語られたこと、語られなかったこと
原発事故後、福島では多くの声が語られ、メディアや外部からの視線が注がれました。しかし、被災者の複雑な感情や、地域内部の分断、避難者と残留者の間の軋轢など、「語られなかったこと」に光を当てます。著者は、福島のエートスやNPO福島ダイアログを通じて、対話の場を設け、住民が自分の言葉で経験を語る機会を作ります。この章では、被災者の声が一元的に代弁されることへの抵抗感や、個々の物語の多様性が強調されます。著者は、福島の状況を「コントロールされている」とする公式の発表と、実際の住民の苦悩とのギャップを指摘します。
#### 7. その町、その村、その人
福島県内のさまざまな町や村を訪れ、そこで暮らす人々の生活や思いに耳を傾けた記録です。避難指示区域の解除が進む中、帰還する人、帰らない人、帰れない人の間で生じる複雑な感情が描かれます。著者は、特定の地域や個人に焦点を当て、彼らの日常や葛藤を通じて、災害後の復興が一律ではないことを示します。地域ごとの歴史や文化、個人の人生が、復興の過程にどのように影響するかを丁寧に描写。この章は、福島の多様な現実を、具体的なエピソードを通じて伝えます。
#### 8. ふたたび、末続
再び末続地区に戻り、住民との対話や活動を通じて見えてきた希望と課題をまとめます。放射線量の測定や対話集会を続ける中で、住民が自らの生活を主体的に取り戻す姿が描かれます。しかし、復興が進む一方で、若い世代の流出や地域の過疎化など、新たな問題も浮上。著者は、末続での活動を通じて、災害後の回復が一過性のものではなく、長期的な視点での努力が必要であることを強調します。この章は、著者の活動の成果と限界を振り返る重要な節です。
#### 9. 海を撃つ
最終章では、タイトル「海を撃つ」の意味が明かされます。この言葉は、チェルノブイリで出会った女性が、放射能汚染された海に対する無力感や怒りを表現した言葉に由来します。著者は、福島の海もまた、原発事故による汚染で傷つき、漁業や地域の生活に深い影響を与えたことを指摘。海を撃つという行為は、災害に対する怒りや抵抗、そして忘却に抗う意志の象徴として描かれます。著者は、福島、広島、チェルノブイリの経験を通じて、核災害後の土地と人々の回復には、科学的知識だけでなく、記憶と対話が不可欠であると結論づけます。
#### 参考文献・あとがきにかえて
参考文献では、ICRP勧告111号やジャック・ロシャールの講演資料など、著者が活動や執筆の基盤とした資料が列挙されます。「あとがきにかえて」では、著者が本書を書くに至った動機や、福島での生活を通じて見出した「忘却に抗う」決意が綴られます。災害の記憶を風化させず、被災者の声を記録として残すことの重要性が強調されます。
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### テーマと特徴
本書の中心テーマは、原子力災害後の「人と土地の回復」です。著者は、科学的アプローチ(放射線量の測定やICRPの知見)と、個々の物語や対話を通じた人間的アプローチを融合させ、復興の複雑さを描きます。以下の特徴が際立っています:
1. **個人的視点と普遍性の融合**:著者の広島出身や福島での生活という個人的な背景が、核災害という普遍的なテーマと結びつき、読者に深い共感を呼び起こします。
2. **対話の重視**:福島のエートスやNPO福島ダイアログの活動を通じて、住民の主体性を尊重し、対話に基づく復興の重要性を訴えます。
3. **多地域の比較**:広島、福島、チェルノブイリを結ぶことで、核災害の普遍性と地域ごとの独自性を浮き彫りにします。
4. **文学的表現**:「幻視的なまなざし」という表現に象徴されるように、事実の記録を超えた詩的・感情的な描写が、読者に強い印象を与えます。
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### 社会的意義と評価
本書は、福島第一原発事故後の福島の現実を、外部からの単純な同情や批判ではなく、内部に暮らす一人の女性の視点から描いた点で高い評価を受けています。紀伊國屋じんぶん大賞2020で27位に選出され、NHK Eテレの番組や書評で取り上げられるなど、注目を集めました。読者からは、著者の「静かな怒り」や「熱量」が伝わる作品として、災害文学の新たな一里塚と評価されています。ただし、一部では著者の活動やICRPへの傾倒が議論を呼び、賛否両論も存在します(例:成田闘争に関するnote記事での批判)。
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### 結論
『海を撃つ』は、福島第一原発事故後の7年半を、著者自身の体験と地域住民の声を通じて描いた圧巻のノンフィクションです。災害の記録であると同時に、著者の内面的な葛藤や希望、そして忘却に抗う意志が込められた作品です。広島、福島、チェルノブイリという三つの地域を結びつけ、核災害後の復興が単なる物理的・科学的回復ではなく、人の心やコミュニティの再生を伴う複雑なプロセスであることを示します。読者にとって、福島の現実を深く理解し、災害後の社会について考える契機となる一冊です。[](https://www.msz.co.jp/book/detail/08782/)[](https://note.com/ando_ryoko/n/n4851f6d69d81)[](https://rmaruy.hatenablog.com/entry/2019/02/12/221138)