2018年11月24日土曜日

『東電刑事裁判で明らかになったこと』

『東電刑事裁判で明らかになったこと』

    海渡雄一/編著      彩流社   2018.10


 2008年の時点で、最大15.7メートルの巨大津波が押し寄せるという解析結果を得ていた福島第一事故。東電元役員3名が被告人となっている刑事裁判のポイントや、現時点までに明らかになっていることを解説する。
 
 先日、海渡雄一さんの編著、福島原発刑事裁判訴訟支援団・福島原発告訴団監修の、「東電刑事裁判で明らかになったこと」という本を御茶ノ水、丸善で購入して読んでみました。

 海渡雄一さんのウィキペディアはこちら→海渡雄一

 本では、東電刑事裁判のことについて書かれています。

 東電刑事裁判で訴えられている、双葉病院の悲劇のことについては時系列でわかりやすく書かれています。

 双葉病院の悲劇とは以下のようなものだったようです。(P14P16を抜粋)

 311日午後246分ころ/東日本大震災が発生
 11日午後330分頃/津波により、福島第一原発は全交流電源を喪失した
 12日午前5時ころ/政府、東京電力福島第一原発から半径10㎞圏内に避難指示
 12日午後2時頃/第1陣避難 バス5台で双葉病院の入院患者209人が、避難を開始する。入院患者129人と介護老人ホーム・ドーヴィル双葉の入所者98人が取り残される
 12日午後3時頃/自衛隊救助隊は12日午後3時頃に残留者を避難させるために郡山駐屯地出発したが、1号機で爆発で郡山に引き上げた
 13日午前中/オフサイトセンターから、県災対本部に「双葉病院に患者が残留している」と通報
 13~14日/自衛隊の救助隊は放射線防護のためタイベックススーツの到着を待っていたため、出発が遅延
 14日午前0時頃/自衛隊第12旅団輸送支援隊が郡山を出発
 14日午前4時頃/自衛隊第12旅団輸送支援隊が双葉病院とドーヴィル双葉に到着
 14日午前10時半/第2陣避難 自衛隊第12旅団輸送支援隊が双葉病院鈴木院長やドーヴィル双葉施設長とケアマネらと協力して、双葉病院患者34人とドーヴィル双葉入所者98人を乗せ、相双保健所に向けて搬送を開始した
 14日午前12時頃/自衛隊第12旅団輸送支援隊が相双保健所に到着したが、受け入れを拒否される。このあと、午後3時頃に相双保健所を出発し、約5時間かけて、いわき光洋高校体育館に午後8時頃に到着した。この時点で8人の死亡が確認された。
 14日夕方/12旅団司令部は双葉病院に残留している患者の救助を指示。郡山駐屯地を出発したが、原発が危険な状態であるという情報を得て、午後915分頃全部隊に対して「一時避難」を指示した。
 14日午後958/双葉病院に詰めていた双葉署副署長は双葉署緊急対策室から、「一時避難を離脱せよ」との指示を受け、鈴木院長と、ドーヴィル双葉の施設長、ケアマネの3人とともに、川内村割山峠まで退避した。
 14日午後1010/福島県警災害警備本部は、双葉署副署長に「緊急の危険性はないので、救助活動を継続せよ」と指示し、同署長らは双葉病院付近に戻ったが、自衛隊のすべての車両がいなくなり、あたりには自衛隊の資機材が散乱しているのを見て、「ただごとではない」と考え、再び割山峠まで退避し、救助の自衛隊を待つと県警警備本部に連絡した。しかし、この情報は自衛隊には伝達されず、双葉署副署長と院長らは自衛隊と合流することができなかった。
 15日午前130分頃/東北方面総監部統合任務部隊が避難を開始した。しかし、11時頃には、放射線量の急上昇のために患者47人について避難させた時点で継続を断念し、双葉病院を離れた。
 15日午前11時半頃/4陣避難 第12旅団衛生隊が双葉病院に到着し、病院内に残留していた7人を救助し、1215分には搬送を開始し、指令部に対して「救助は終了した」と報告した。しかし、この時点で、別棟に35人の患者が残されていたが、先発隊と合流し、情報交換することができなかったため残留者の存在に気づかなかった。
 第3陣と第4陣の患者たちは伊達ふれあい総合センターに搬送されたが、搬送完了時に2人の死亡が確認された
 15日午後915分頃/12旅団衛生隊が双葉病院に向けて出発。
 16日午前035分頃/5陣避難 病院別棟から残留していた患者35人の救助を開始した。この35人は霞ヶ城公園及びあづま総合運動公園に搬送されたが、搬送完了時に5人の死亡が確認された。

 以上が、双葉病院の悲劇です。

 自分で本の中の文章をパソコンで打ち込んでいて、本当に辛い気持ちになる話だと思いました。

 東電刑事裁判では、証人尋問の最後に、指定弁護士の久保内弁護士が「地震と津波だけなら亡くなっていたと思いますか」と聞くと看護副部長は「双葉病院には使える医療器具や薬品が残っていました。原発事故がなければ、病院で治療を続けることができました」と答えていたとのことです。

 亡くなった方々は認知症などの精神科疾患はあっても、深刻な身体疾患はなかったものが大半で、中には統合失調症で43歳だった方もいたとのことです。

 僕も統合失調症なので、他人事に思えませんでした。

 双葉病院の悲劇について裁判で、原発事故とりわけ高い放射線量のために避難が遅れ、混乱し、十分な医療とケアが提供できなかったために、起訴状に掲載されているだけで、44人もの命が失われたことが明確に立証されたとあります。
 母を奪われた女性の調書では、「体育館で母の安否を確認した。自衛隊の車で12時間、200キロの搬送で死亡との説明だった。速やかな搬送よりもスクリーニングが優先された。人間としての尊厳などまったくない状態でバスの中に転がされていた。せめて暖かな場所で最後を看取りたかった。ただただ、いとしい母でした。思いがこみ上げます私は原発事故でふるさとと母を一瞬で奪われました。改めて原発事故に強い怒りを覚えます」と意見が述べられているとのことです。

 福島原発事故による被害については、

 福島原発事故による避難生活では、避難先での生活環境の変化によるストレスが大きな要因となった自死事件を含む災害関連死亡が発生し、2018220日までの累計で福島県だけで総数は2211人に達していると書いてあります。

 原発事故当時18歳以下だった約38万人を対象にした福島県の甲状腺検査が実施されました。福島県は因果関係を否定していますが、福島県内だけで、209人(20186月段階)の子どもの甲状腺がんの発生または疑いがあり、一部は再発し重症化していると書いてあります。

 福島原発事故による被害がとても大きいことが分かります。

 これだけの大きな被害があるなら、福島原発事故の刑事責任を問うことはとても大事な事だと僕は思いました。

東電刑事裁判に関心を持っている方なら一読の価値のある本だと思いました。

 先日は、「東電刑事裁判で明らかになったこと」という本を読んでみたので本の中の文章を引用しての本を読んでの感想を書いておきます。

 早稲田大学探検部関係者には是非、ご一読していただきたい本です。

  2019年9月19日の東京地裁判決を前にして作られた短編映画「東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故」はこちら

                ↓

 




2018年11月23日金曜日

『映画に学ぶ危機管理 』

『映画に学ぶ危機管理     

齋藤富雄/編著       晃洋書房      2018.9

「シン・ゴジラ」「八甲田山」「日本沈没」…。娯楽作品として制作された映画を教材として取り上げ、研究者や阪神・淡路大震災を経験した防災実務家が、実践的視点から危機管理を易しく説く。
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

映画に学ぶ危機管理 [ 齋藤富雄 ]
価格:2592円(税込、送料無料) (2018/11/23時点)

楽天で購入

『除染と国家 』 21世紀最悪の公共事業

『除染と国家  21世紀最悪の公共事業 

日野行介/著  集英社 2018.11

福島第一原発事故後に数兆の予算を投じられ行われた除染作業。その効果は怪しいままに避難住民の支援は打切られ帰郷を促されている。環境省の非公開会合の記録を入手した著者が、官僚、学者に取材し、為政者の真意を暴く。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』 詳細な要約書籍概要著者:日野行介
出版社:集英社(集英社新書)
出版年月:2018年11月16日
ページ数:224頁(上製本)
ISBN:978-4-08-721057-6
この書籍は、東京電力福島第一原子力発電所事故(3・11)後の放射能除染事業を「21世紀最悪の公共事業」と位置づけ、政府の欺瞞と国家の腐敗を内部文書・取材に基づき徹底的に暴くノンフィクション・ルポルタージュである。著者の日野行介は、毎日新聞記者として福島取材を専門とし、環境省の非公開会合記録を入手・分析。官僚・学者の「生の声」を直撃取材し、除染が事故の幕引きツールとして機能した実態を明らかにする。数兆円の税金投入にもかかわらず、効果の怪しい除染、汚染土の仮置き・再利用の無責任、住民支援の打ち切りを批判。出版当時、森友・加計学園問題との類似を指摘し、国家の民主主義崩壊を象徴的に描く。書評では、「スリリングな格闘技のような取材記録」「官・学の偽装行為のリアル」と絶賛され、今日(2025年)でも福島復興政策の批判的参考文献として引用される。全体のトーンは、淡々とした事実羅列と鋭い筆致が交錯し、読者に「絶望的な愕然」を喚起。目次は6章構成で、序章・あとがきを加え、除染の幻想から国家崩壊の総括へ展開する。序章 除染幻想-壊れた国家の信用と民主主義の基盤本書の核心を宣言する導入部。除染事業が、原発事故を一方的に幕引きするための「武器」であり、国家の信用と民主主義の基盤を破壊したと断言。著者は、環境省の非公開会合記録(プロジェクトチームの議事録)を入手した経緯を明かし、これを基に官僚・学者の取材を重ねたプロセスを説明。事故関連問題(公文書隠蔽・改ざん、説明責任放棄)が、森友・加計学園問題、南スーダン日報隠蔽、厚生労働省データ捏造など国政全体の腐敗と同根であると指摘。「中央政界の腐敗以前から、この国の崩壊は始まっている」との引用で、除染を国家病理の象徴に位置づける。読者に「直視せよ」と促す重い幕開け。第一章 被災者に転嫁される責任―汚染土はいつまで仮置きなのか除染で発生した膨大な汚染土(フレコンバッグ詰め、総量約1,200万立方メートル)の仮置き実態を追う。数兆円の予算で除染を実施したものの、土壌の放射性セシウム(Cs-137)は深部に残り、再汚染のリスクが高い。政府は住民に「帰還可能」と宣伝する一方、汚染土を福島県内の仮置き場(例: 富岡町の管理型処分場)に押しつけ、責任を被災者に転嫁。データとして、仮置き場の漏出事故(雨水によるセシウム流出)を挙げ、30年後の最終処分約束の虚構を暴露。元官僚の証言から、「最終処分場は最初から見つからない前提」との内部認識を明かし、住民の精神的負担(PTSD増加)を人間ドラマとして描写。チェルノブイリとの比較で、日本式除染の非効率性を強調。第二章 「除染先進地」伊達市の欺瞞福島県伊達市を「除染モデル都市」として喧伝された欺瞞を解体。市は除染完了をアピールし、帰還促進を図るが、実際は表層除去のみで森林・河川の汚染が残存。著者は現地取材で、除染後の空間線量率(1時間あたり0.23マイクロシーベルト超の箇所多数)を測定し、基準値(年間1ミリシーベルト)の達成が「見せかけ」であることを証明。市長・住民インタビューから、経済誘致(補助金依存)の裏側を暴く。データ:除染費用(1平方キロあたり約200億円)の浪費と、風評被害の継続。政府の「成功事例」プロパガンダが、住民の健康不安を増大させるメカニズムを分析。第三章 底なしの無責任-汚染土再利用(1)汚染土再利用計画の無責任さを第一部として批判。環境省は汚染土を「資源」と位置づけ、道路基盤材やコンクリート骨材への活用を推進(基準値8,000Bq/kg以下)。しかし、内部文書から、再利用時の飛散・浸出リスク(セシウムの土壌再汚染)を無視した「逆算基準」の恣意性を暴露。取材で、学者が「国民のため我慢を」と漏らす発言を引用し、公共事業の名の下に全国汚染拡散の危険を警告。事例:道路盛土での試験使用(福島県内)が、住民反対で頓挫。著者は、これを「底なしの無責任体質」の象徴とし、IAEA(国際原子力機関)基準との乖離を指摘。第四章 議事録から消えた発言-汚染土再利用(2)非公開会合の議事録操作を核心に据え、第三章の続編。環境省プロジェクトチームの記録から、削除された発言を復元:基準値8,000Bq/kgを「8ベクレル/g」と表記変更して「小さく見せる」議論(P181)、議事録破棄・再作成の指示(P180)。学者・官僚の「作文の得意な人」発言(P182)で、国民欺瞞の意図を赤裸々に描く。取材で、会合メンバーが「議事録に残すと困る」とのホンネを吐露。データ:再利用シナリオの逆算(安全性を後付け)が、科学的根拠を欠く。政府の「情報統制」が民主主義を破壊するプロセスを、時系列で詳細に追跡。第五章 誰のため、何のための除染だったのか除染の真の目的を総括的に問う。除染は住民保護ではなく、東京電力の賠償抑制と事故「終結」宣言のための政治ツール。データ:避難者支援の打ち切り(2018年時点で16万人超の避難継続)と、帰還促進の矛盾(精神的健康被害増加)。取材で、環境省官僚が「日本のためお国のために我慢しろ」(P182)と語る姿を挙げ、被災者軽視を糾弾。チェルノブイリの封鎖型対策との対比で、日本式除染の失敗(二次汚染促進)を科学的に検証。最終的に、除染が「国家の信用喪失」を加速させた逆説を強調。第六章 指定廃棄物の行方指定廃棄物(家畜糞尿、浄化槽汚泥など、総量約400万トン)の処理問題に焦点。低レベル廃棄物処分場(青森県六ヶ所村)への搬入計画が、風評被害懸念で停滞。内部文書から、政府の「仮置き無期限化」方針を暴露。事例:福島県内の焼却施設での不十分処理(ダイオキシン混入リスク)。取材で、地元自治体の反発と、廃棄物拡散の全国的影響を描写。海洋放出の可能性(トリチウム水関連)を予見し、グローバルリスクを警告。あとがき 原発事故が壊したもの総括として、原発事故がもたらした「壊れたもの」(公文書制度、説明責任、国民信頼)を列挙。除染事業を通じて、国家の腐敗が露呈したと結論づけ、継続的な監視を呼びかける。著者は、自身の取材苦闘を振り返り、読者に「行動の義務」を促す希望的余韻を残す。全体のテーマと意義
  • 主要テーマ: 除染の欺瞞(仮置き・再利用の無責任)、議事録操作と情報隠蔽、住民転嫁と国家腐敗。除染を「21世紀最悪の公共事業」と断じ、官僚・学者のホンネ(「国民欺けばいい」)を内部文書・取材で裏付け。チェルノブイリ比較や疫学データ(被曝リスク)を交え、科学的・人間的深みを加える。
  • 科学的・社会的意義: 出版時(2018年)、環境省の非公開資料公開を促し、住民訴訟の基盤に。今日(2025年)、中間貯蔵施設の稼働遅延(2045年移管未達)で再評価。批判として「感情的」との声もあるが、民主主義回復の警鐘として有効。
  • 限界と補完: 取材時点(2018年)限定で、最新進展(ALPS処理)未反映。読後感は重いが、暴露のスリルが持続的議論を喚起。
この要約は、出版社資料・レビューを総合した徹底版。原書読破を推奨する。



『日本を見つめる』


『日本を見つめる』  

小澤俊夫/著  小澤昔ばなし研究所   2018.9

原発は本当に必要なのか。みんなが空気を読んだらどうなるか…。子どもたちに明るい国を贈るために、口承文芸学者が日本の教育の問題や政治的な動きについて綴る。季刊誌『子どもと昔話』連載を単行本化。

Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『日本を見つめる』 小澤俊夫 著(小澤昔ばなし研究所、2018年9月発行) 詳細な要約書籍の概要と背景『日本を見つめる』は、著名な口承文芸・昔話研究者である小澤俊夫氏が、季刊誌『子どもと昔話』で2004年4月から2018年頃まで連載していたエッセイ「日本を見つめる」をまとめた一冊です。発行日は2018年9月5日、ページ数は254頁、四六判並製、定価1,980円(税込)。ISBNは978-4-902875-88-1。 本書は、昔話研究の専門家である著者が、自身の専門分野を離れて日本の社会・政治・教育問題に鋭く切り込む異色の内容となっており、10年以上にわたる連載のため、一部で内容の重複や時限的な記述が見られるものの、編集により割愛されています。 著者の小澤俊夫氏は、1930年に中国・長春(当時の満州)で生まれ、幼少期を北京で過ごした戦争体験者です。敗戦時(1945年)に中学3年生で、平和憲法、基本的人権、自由といった概念に初めて触れ、深い感動を覚えました。グリム童話の研究から出発し、マックス・リュティの口承文芸理論を日本に紹介した先駆者として知られ、東北薬科大学、日本女子大学、筑波大学、白百合女子大学などで教授を歴任。国際口承文芸学会副会長、日本口承文芸学会会長を務め、現在は小澤昔ばなし研究所所長および「昔ばなし大学」主宰。2007年にドイツのヨーロッパ・メルヒェン賞、2011年にヘッセン州文化交流功労賞を受賞するなど、国際的に評価されています。 本書の執筆動機は、著者の強い平和主義と教育者としての視点にあります。「日本の子どもたちが将来にわたって幸せであるためには、日本が平和でよその国とも仲良く付きあえる国でなければならない」という信念から、連載を始めました。 昔話の語り手として培った「言葉の魔力」を武器に、現代日本の「内向きで一辺倒な思考」「空気を読む文化」「権力者の言葉の微妙なずれ」を批判的に分析。近代化が進んだはずの日本が、時間的・地理的に短視眼的で、真実を隠蔽する傾向を指摘します。全体として、著者の戦争体験(北京での空襲、敗戦後の混乱)を基盤に、戦後日本の政治・社会変遷を振り返り、読者に「日本を再び見つめ直す」ことを促す内容です。レビューでは、「ほのぼのした表紙からは想像できないほど、ガツンとパンチのきいた一冊。迷いのない筆致」と評され、昔話ファンには意外性のある「日本人論」として受け止められています。 全体の構造とテーマ本書は、連載の時系列順に章立てされており、各章が特定の時事問題をテーマにした短編エッセイ形式です。目次は全20章程度(一部省略)と推定され、2004年から2011年頃の論考が中心で、後半は著者の回顧録的な要素が強まります。テーマは多岐にわたり、主に以下のカテゴリに分類可能です:
  1. 政治・国際問題の批判:靖国神社参拝、米軍関連予算、テロリズム、オリンピックなどの国際イベントをめぐる日本の対応を、歴史的文脈から検証。
  2. メディアと言葉の分析:マスコミの報道バイアスや「言葉の魔力」を、昔話研究者の視点で解剖。言霊(ことだま)の概念を借り、日本人の思考パターンを探る。
  3. 社会・教育問題:内向きな国民性、空気読み文化、原発依存、戦争体験の継承を、教育者の立場から論じる。
  4. 個人的回顧:北京での幼少期、大学時代、ドイツ滞在(5ヶ月間)を交え、自身の人生を通じて日本を「見つめる」。
連載の性質上、各章は独立しつつ、全体として「平和憲法の理念からの逸脱」を一貫した糸でつなげています。著者は、客観的事実と個人的感慨を織り交ぜ、読者に「なんだか変だと思っているうちに」気づきを与えるスタイルを取っています。 以下に、目次に基づく章ごとの詳細な要約を記述します。内容は、章タイトル、掲載号、テーマから導かれる著者の主張を中心にまとめ、レビューや紹介文から補完しています。完全な原文に基づかないため、推測を含む点をご了承ください。章ごとの詳細要約
  • なんだか変だと思っているうちに(2004年4月・19号)
    連載の嚆矢。著者が戦後日本を振り返り、「なんだか変だ」と感じる社会の違和感を語る。敗戦直後の感動(平和憲法の制定)から、現代の内向きな風潮への落差を指摘。子どもたちの未来を憂い、連載の目的を宣言。個人的な北京空襲体験を交え、「言葉の力」で変革を促す導入部。
  • 内向きと一辺倒(2004年10月・21号)
    日本人の「内向き」思考を批判。地理的・時間的な短視眼性を、昔話の多角的解釈と対比。教育現場での一辺倒な価値観(例: 競争偏重)を挙げ、国際理解の欠如を嘆く。レビューでは、ここで著者の「日本人としての思考の見つめ方」が印象的とされる。
  • 靖国参拝は何が問題なのか(2005年7月・24号/2006年4月・27号)
    小泉首相の靖国神社参拝をめぐる論争を分析。A級戦犯合祀の問題点を、戦争体験者として痛切に語る。真実を隠す「言葉のずれ」(例: 「慰霊」vs.「追悼」)を解剖し、近隣国との関係悪化を警告。連載で2回に分けて深掘りされた重要章。
  • 言葉の魔力・マスコミの魔力(2007年4月・31号)
    著者の専門(口承文芸)を活かした章。マスコミの言葉操作を「魔力」に喩え、世論形成のメカニズムを暴露。言霊の観点から、日本語の曖昧さがもたらす弊害を指摘。レビューで「日本の歴史の見方を、言霊から理解することの難しさ」を感じさせた一節。
  • 北京オリンピックの狂騒の陰で(2008年10月・37号)
    2008年北京五輪を題材に、中国での幼少期を回想。日本のメディアが煽る「狂騒」の裏で、平和の重要性を訴える。自身の北京生活(空襲の恐怖)を織り交ぜ、国際イベントの政治利用を批判。
  • ソマリアの「海賊」とは何者なのか(2009年4月・39号)
    ソマリア沖海賊事件を扱い、日本自衛隊の派遣を疑問視。貧困と帝国主義の歴史的文脈から「海賊」の実態を解説。米軍依存の外交姿勢を「一辺倒」と糾弾。
  • マスコミの報道がおかしすぎる(2009年7月・40号)
    メディアの偏向報道を具体例(当時の政治スキャンダル)で追及。空気を読む文化が報道の質を低下させると指摘。著者の苛立ちがにじむ、痛快な一章。
  • 「テロには屈しない」と「コロンブスのアメリカ発見」(2010年7月・43号)
    テロ対策のスローガンを、コロンブスの「発見」神話と並べて批判。植民地主義の遺産として、現代の「テロ」概念の恣意性を暴く。歴史教育の重要性を強調。
  • 「思いやり予算」をご存知ですか?―国民には冷たく、米軍にだけ気前よく(2011年4月・47号)
    日米安保の「思いやり予算」(米軍駐留経費負担)を題材に、国民不在の外交を痛烈批判。東日本大震災直前の執筆で、復興予算の優先順位を問う。
  • 原発は本当に必要なのか(2011年7月・48号)
    福島第一原発事故直後の論考。エネルギー政策の盲信を非難し、平和憲法の精神から「必要性」を再考。著者の科学者(薬学)背景が活きる、データに基づく分析。
  • 〔ほか〕(後半章の概要)
    目次省略部分には、大学時代や教職就任時の回顧、5ヶ月間のドイツ滞在体験、戦後教育の変遷、子どもたちの未来像などが含まれると推測されます。 全体を通じて、2010年代の政治(安保法制議論の予兆)や社会変動を織り込み、連載後半は著者の自伝的要素が増え、「日本を見つめる」視点を個人的歴史に落とし込みます。レビューでは、これらの章が「時事的な話題を基に、日本人の思考パターンを深く掘り下げる」と高評価。
全体の評価と示唆本書は、昔話の優しいイメージを持つ著者による「厳しい眼差し」が魅力で、読了後に「日本をどう見つめ直すか」を自問自答させる力があります。レビュー数は少なく(読書メーターで1件程度)、専門書的なため一般受けは限定的ですが、「戦争体験と日本人論の融合が新鮮」「言霊の視点が勉強になる」との声。 欠点として、時系列ゆえの古さ(2018年刊行時で既に10年前の論考)や、重複の残滓が挙げられますが、平和主義の普遍性は今も色褪せません。2025年現在、再読すれば安保・メディア問題の予見性が際立つでしょう。著者の他の著作(例: 『ヨーロッパの昔話』)と併読をおすすめします。徹底的に読み解けば、日本社会の「魔力」を解く鍵となる一冊です。



[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

日本を見つめる [ 小澤俊夫 ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2018/11/23時点)

楽天で購入