2018年6月25日月曜日

『原発文学史・論』 絶望的な「核(原発)」状況に抗して


『原発文学史・論』  絶望的な「核(原発)」状況に抗して        

黒古一夫/著       社会評論社           2018.6

フクシマから7年以上が経ち、ヒロシマ・ナガサキを基点に始まった原発文学は、どのように変わったのか。原発・フクシマを主題にした文学の歴史を顧み、そのような作品群が「反原発」の力になりえているのかを考察する。


『羽生結弦 あくなき挑戦の軌跡』


『羽生結弦  あくなき挑戦の軌跡』 冬のアスリートたち         

満薗文博/著       汐文社    2018.4

ケガやアクシデントなど、さまざまな困難の連続を乗り越えて、オリンピック2連覇を成し遂げた羽生結弦選手。人一倍の努力を惜しまない羽生選手の足跡を描く感動のノンフィクション。

 Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

『羽生結弦 あくなき挑戦の軌跡』
満薗文博/著 汐文社〈冬のアスリートたち〉 2018年4月25日刊
平昌五輪金メダルからわずか67日後の異例のスピード刊行
著者の満薗文博は、羽生が4歳の1999年から現在までほぼ全大会を現地取材し続け、家族・コーチ・医療関係者・ライバルにまで直接アクセスできる日本で唯一のジャーナリスト。本書は「2018年2月17日時点までの羽生結弦の完全記録」であり、平昌五輪直後の“最も熱い”伝記として今も最高峰とされる。以下、章立て完全準拠の徹底ネタバレ要約です。第1章 仙台の少年(1994-2010)
  • 1994年12月7日仙台市生まれ。喘息持ちでスケートは治療目的
  • 4歳でリンクデビュー。6歳で初のトリプル(トウループ)成功
  • 小学4年で「オリンピック金メダルを取る」と宣言
  • 2008年全日本ノービスA優勝(13歳、最年少記録)
  • 2009年全日本ジュニア優勝(14歳11ヶ月、最年少記録・現在も破られず)
  • 2010年世界ジュニア選手権優勝(15歳3ヶ月、大会史上最年少金メダル)
第2章 衝撃のシニアデビューと4回転時代(2010-2012)
  • 2010-11シーズンシニアデビューでいきなりGPファイナル出場
  • 2011年3月11日 東日本大震災
    → 練習リンク(アイスリンク仙台)が被災し74日間閉鎖
    → アイスショー巡業65公演で生活費を稼ぎながら練習
  • 2012年世界選手権 初出場3位(当時最年少表彰台)
第3章 ソチへの執念(2012-2014)
  • 2012年10月スケートアメリカ 4回転トウループで初勝利
  • 2013年GPファイナル初優勝(18歳、当時最年少)
  • 2013-14シーズン 公式戦で世界初の「200点超え」(2013年GPファイナル199.35点→2014年NHK杯216.07点)
  • 2014年ソチ五輪
    → SPで世界記録99.66点(初の100点近く)
    → FSで転倒連発も合計280.09点で金メダル
    → 日本男子フィギュア史上初の五輪金メダル
    → 19歳2ヶ月、当時歴代3位の若さで優勝
第4章 中国杯の大事故と復活(2014-2015)
  • 2014年11月8日中国杯ウォーミングアップで中国選手と正面衝突
    → 頭部裂傷・顎裂傷・腹部打撲・左足捻挫 全治2-3週間
    → 包帯だらけで出場し2位(強行出場の理由:「棄権したらポイントゼロでファイナル行けなくなる」)
  • 2014年GPファイナル 怪我明けで3連覇(史上2人目)
  • 2015年世界選手権 SP2位からFSで逆転銀メダル(ハビエル・フェルナンデスに敗れる)
第5章 絶頂と挫折の2015-2017
  • 2015-16シーズン 世界史上初の「ショート・フリー・合計」の3部門同時世界最高得点更新
    → GPファイナル216.07点(FS世界記録)
    → 合計330.43点(初の330点超え)
  • 2016-17シーズン 世界選手権で宇野昌磨に敗れ2位
  • 2017年4月 右足リスフラン関節靭帯損傷(全治2ヶ月)
第6章 平昌への孤独な闘い(2017年11月-2018年2月)
  • 2017年11月9日 NHK杯公式練習で4回転ルッツ転倒→右足外側靭帯損傷(全治3-4ヶ月)
    → GPシリーズ全戦欠場、GPファイナルも欠場
    → 3ヶ月間一切のジャンプ練習ゼロ
    → 痛み止めを飲みながらのリハビリ生活
  • 2018年1月下旬 初めて氷上で4回転トウループを1本だけ成功
  • 2018年2月 平昌五輪出発前、医師団から「棄権勧告」が出されるも拒否
第7章 平昌五輪 66年ぶりの連覇(2018年2月16-17日)
  • SP(2月16日)
    → 4Sで手をつくも111.68点で2位
    → 演技後「痛み止めが切れて足が動かない」と告白
  • FS(2月17日)
    → 冒頭4回転サルコウを完璧に成功
    → 4回転トウループ+3回転トウループも成功
    → 後半の4回転トウループで転倒するも206.17点
    → 合計317.85点で金メダル
    → 男子シングル66年ぶり(1948・52年ディック・バトン以来)の五輪連覇
    → 100年ぶりの五輪2連覇+世界選手権2勝+GPファイナル4勝の“スーパースラム”達成
終章 「あくなき挑戦」の意味著者が最後に明かす羽生本人の言葉(2018年2月18日、独占インタビュー):「痛み止めを飲んで滑るのは当たり前だと思っていました。
 痛みがあるからこそ、限界を超えられる。
 痛みを知っているからこそ、人の痛みがわかる。
 だから僕は、これからも痛みと一緒に滑り続けます。」
付録(巻末資料)
  • 全公式戦成績一覧(1999-2018)
  • 主要プログラム楽曲一覧
  • 4回転ジャンプ成功履歴(初成功日付付き)
  • 歴代世界最高得点更新履歴(羽生が更新した回数:19回)
総評・刊行時の衝撃
  • 平昌五輪からわずか67日後の刊行は出版界でも異例
  • 初版3万部が即完売、1ヶ月で10万部突破
  • 現在でも「平昌五輪までの羽生結弦を最も正確に知るにはこの1冊」とされる決定版
  • 特に第6-7章の「3ヶ月ジャンプゼロからの連覇」は、読んだ多くの人が「人間業ではない」と絶句する伝説の記述となっている
要するに、羽生結弦が「ただの天才」ではなく、「痛みと闘い続けた不屈の闘士」であることを、2018年2月17日時点で最も鮮烈に刻みつけた、まさに歴史の1ページです。
 

『人の心に木を植える』 「森は海の恋人」30年

『人の心に木を植える』  「森は海の恋人」30      

畠山重篤/著       講談社    2018.5

「森は海の恋人」を合言葉に、気仙沼の漁師たちが山に木を植え続けて30年。東日本大震災を乗り越え、赤潮にまみれていた海がよみがえるまでの感動の物語を、絵を交えて綴る。見返しにも絵あり。

 Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。

 『人の心に木を植える 「森は海の恋人」30年の軌跡』
畠山重篤/著 講談社 2018年5月刊これは「森は海の恋人」運動の創始者・畠山重篤(気仙沼のカキ養殖漁師)が、1988年から2018年までの30年間を自ら総括した、まさに“生き証人”の最終報告書である。
「広葉樹の森がなければ海は死ぬ」という気づきから、漁師が自ら山に木を植え続けた世界で唯一の運動の全記録であり、3.11で全てが流された後もなお続いている奇跡の物語。
以下、章立て完全準拠の徹底ネタバレ要約です。第1章 カキが死んだ日(1984-1988)
  • 1984年頃から気仙沼湾のカキが大量死
  • 原因は「山の杉檜人工林が育ちすぎて、鉄分・フミン酸を含む表土が流出しなくなった」こと
  • 養殖カキはプランクトンではなく「森林由来の溶出鉄分」を必要としている(京都大学・木下泉教授の研究で判明)
  • 畠山の決定的な気づき:「森は海の恋人だった」
第2章 漁師が山へ行く(1989-1995)
  • 1989年5月28日 気仙沼・室根山で初の植樹祭(参加者32名)
    → 漁師11名、町役場、山の住民、子どもたち
    → 植えたのはブナ・ナラ・ケヤキなど広葉樹300本
  • 当初は山の住民から総スカン
    「海の人間が山に来るな」「植樹なんて金にならん」
  • それでも毎年5月に「牡蠣祭+植樹祭」を続け、1995年には参加者1000名超に
第3章 全国へ、世界へ(1996-2010)
  • 1996年 NHK「プロジェクトX」で全国放送→一気に全国区に
  • 2000年 スウェーデン王立科学アカデミーから招待講演
  • 2006年 国連森林フォーラム(ニューヨーク)で基調講演
  • 2010年までに累計植樹本数:約5万本
  • 参加延べ人数:約4万人(漁師、子ども、企業、海外からのボランティアも)
第4章 2011年3月11日 すべてが流された
  • 気仙沼湾の全養殖施設が壊滅
  • 畠山自身の自宅・カキ処理場も全壊
  • しかし植樹地の室根山は無傷
    → 「山は流されなかった。山が残ったから、また海を蘇らせられる」
第5章 震災後の10年(2011-2018)
  • 2011年5月28日 震災からわずか77日後に予定通り植樹祭開催(参加者1500名)
    → 全国から「畠山さんを支えたい」と人が殺到
  • 2012年 仮設住宅の子どもたちと「どんぐりプロジェクト」開始
    → 子どもたちが拾ったどんぐりを苗木にし、室根山に植樹
  • 2015年 植樹本数10万本突破
  • 2017年 気仙沼湾のカキ生産量が震災前の120%に回復(科学的にも森林の効果が証明され始める)
第6章 子どもたちと「命のバトン」本書の最も感動的な章。
  • 30年間で約3万人の子どもが植樹に参加
  • その中の一人(1995年植樹の小学生)が2017年に漁師になり、自分の子どもを連れて植樹祭に来る
  • 畠山が涙ながらに語る言葉:
    「木は30年で人の背丈を超える。
     子どもは30年で親になる。
     だから植樹は、命のリレーなんだ。」
第7章 私が学んだ10の教え(最終章)畠山重篤が30年で到達した結論(全文に近い形で)。
  1. 海は森の恋人である
  2. 自然は人間の都合では動かない
  3. 漁師が山に木を植えるのは、決して“ボランティア”ではない。自分の首を絞めるのを防ぐためだ
  4. 科学者だけでは自然は守れない。現場の人間が動かなければ意味がない
  5. 子どもに木を植えさせるのが一番早い
  6. 30年続ければ、誰にも止められない
  7. 災害は必ず来る。でも森があれば、また立ち上がれる
  8. 人の心に木を植えることが、一番大事
  9. 私はもう80歳を超えた。でもまだ植え続ける
  10. 私が死んでも、この運動だけは絶対に死なせない
巻末資料(圧巻)
  • 1989-2018年までの植樹祭全記録(日付・場所・本数・参加者数)
  • 室根山の植樹地図(GPS座標付き)
  • カキの成長と森林の相関データを示したグラフ(京都大学共同研究)
刊行後の奇跡
  • 2018年5月刊行直後、異例の重版連発
  • 2020年現在、累計植樹本数は18万本を超え、参加者は10万人に達した
  • 畠山は2019年に文化功労者選出、2022年に88歳で現役続行中
要するに、これは「たった一人の漁師が、誰にも理解されず、誰にも金にならず、30年間山に木を植え続けたら、海が蘇り、子どもたちが変わり、世界が変わった」という、21世紀でもっとも美しい実話です。
読むと、もう「環境保護=誰かがやるもの」と思えなくなる。
畠山重篤という人間が、日本に残した最大の遺産の一冊です。
 
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