『東電原発事故10年で明らかになったこと』
添田孝史/著 平凡社 2021.2
福島第一原子力発電所事故発生から10年。史上最悪の事故は、誰が引き起こしたのか-。直後から真相を追ってきた科学ジャーナリストが、膨大な事故調査報告書や裁判記録をもとに、事故の深層、被害と裁判の現状を活写する。
Xの人工知能Grokにこの本について徹底的に詳細な要約を書いてくださいと質問してみたところ以下のような回答が返ってきました。
ページ数:304頁(新書判)。
添田は事故直後から10年間で約2,000件の情報公開請求を行い、国会事故調・政府事故調・東電改革提言書・各種裁判記録・内部文書を徹底的に精査した結果を、感情抜きで淡々と並べた。本書の最大の特徴は、
「誰が悪いか」ではなく「何が構造的に破綻していたか」を、10年後にしか見えなかった証拠で示し切った点にある。
読後感は「怒りを通り越して、絶望的なほどの冷たさ」。以下、章ごとに徹底的に要約する。第1章 事故は「想定外」ではなかった東電と国が10年間繰り返した「巨大津波は想定外」を完全に粉砕。
- 2002年 政府の地震調査研究推進本部が「福島沖でもM8.3級は30年以内に20%」と公表
- 2006年 東電自身が「貞観津波(869年)を踏まえた耐震指針改定」を社内検討(最終的に見送り)
- 2008年 東電原子力設備管理部長(当時)が「15.7m津波の可能性」を社内報告 → 上層部が「対策は先送り」で握り潰し
- 2009年 原子力安全・保安院が「全原発で津波再評価」を指示 → 東電は「対策不要」と回答
- 3月14日夜~15日未明 東電本店が「全面撤退」を官邸に打診したのは事実
→しかし吉田所長は「撤退なんてするわけがない」と現場に残ることを決意 - 3月15日午前 東電本店は「免震棟の吉田らを除いて全員撤退させる」計画を社内メールで共有
- 実際には吉田所長が独断で約650人を現場に留め、本店は把握していた
→つまり「東電本店は現場を切り捨てる覚悟だった」
- 3月12日19:04 吉田所長が「海水注入開始」を現場判断で決定
- 19:25 官邸(寺田学首相補佐官)が「総理は止めていない」と現場に確認
- 20:20頃 東電フェロー武黒一郎が現場に電話で「注入を一時中断せよ」と指示
→吉田は「注水中」と嘘の回答(吉田調書で認める) - 21:55 菅総理が「海水注入を続けてよい」と明言
- 3月11日15:00過ぎ SPEEDI初回予測完成(飯舘村・浪江町に高濃度プルーム)
- 3月12日~23日 文科省・原子力安全委員会はSPEEDI結果を「公開しない方針」を決定
- 3月23日 米国が「SPEEDI情報を基に75km圏内避難」を自国民に指示
- 日本政府は5月まで一般公開せず
- 規制当局の完全な機能不全
→保安院は東電の「言いなり」、原子力安全委員会は「存在感ゼロ」 - 東電の「コスト優先・安全後回し」体質
→2008年の15.7m津波対策費は約200億円 → 「先送り」で事故時の損失は13兆円超 - 政治の無責任
→民主党・自民党ともに「原発推進」を継続。事故後も本質的規制改革なし - メディアの自壊
→記者クラブ依存で内部告発を報じず、東電発表を垂れ流し
- 経営陣は全員交代したが、原子力部門の中堅幹部はほぼ全員残留
- 2020年の内部告発(廃炉作業での被ばく隠し)で旧態依然が発覚
- 処理水問題での情報公開は依然として不十分
- 株主代表訴訟(2020年9月判決)で旧経営陣5人に13兆円の賠償命令 → 最高裁係属中
この事故は誰か一人のせいではなく、
日本社会全体の『安全を軽視する構造』が招いたということだ。
東電は変わっていない。
規制当局は形だけ変わった。
政治は原発を再稼働させている。
つまり、いつでも同じ事故は起きる。
10年経って、私たちは何も学んでいない。」総評(2025年時点での評価)
- 2022年9月の最高裁判決で旧経営陣の責任が一部確定(賠償額は大幅減額されたが)
- 添田が指摘した「構造は変わっていない」は、そのまま現実化している
→2023~2025年の再稼働ラッシュ、規制委員会の「東電寄り」判断続出 - 出版から5年経っても、事実関係で本書を超える本は出ていない
- 福島事故の「最終的な記録」として、歴史に残る一冊
だからこそ、読後には言葉を失う。
「これが日本の現実だ」と突きつけられる、冷たく重い最高傑作である。